も皆一王朝となるに足りるということはない。一民族中におけるある点までの年功が必要である。そして数世紀にわたる甲羅《こうら》は即座に得らるるものではない。
もし「為政家」の見地に身を置くならば、そしてもとよりあらゆる保留をなして仮りにではあるが、およそ革命の後に現われきたる王たる者の資格は何であるか? その第一に有効なることができまた実際有効なる資格は、彼が自ら革命派であること、換言すれば、親しくその革命に関与し、自ら手を下し、あるいは危地に陥るか、あるいは名を現わし、あるいは斧《おの》にきらるるか、あるいは剣をふるうかした者であることである。
また王朝たる家柄の資格は何であるか? その家は国民的でなければならない、換言すれば、ある距離をへだてたる革命派で、なしたる行為によってではなく受け入れたる観念によって革命派でなければならない。過去より成っていて歴史的であり、未来より成っていて同感的でなければならない。
第一の諸革命がなぜにひとりの人物たとえばクロンウェルもしくはナポレオンを見いだすのみで満足したか、また第二の諸革命がなぜに一家系たとえばブルンスウィク家もしくはオルレアン家を見いださずんばやまなかったか、その理由は以上のことによって説明さるる。
王家なるものは、各枝が地にたれ根をおろして一本の木になるというあのインドの蛸《たこ》の木にも似ている。各枝は一王朝となることができる。しかしそれはただ、民衆までたれ下がるという条件においてである。
そういうのがすなわち巧者の理論である。
それゆえ次のような大なる技能を要する。成功に災厄の色調を与えて、成功を利用する者どもをも慄然《りつぜん》たらしむること、踏み出す一歩に恐怖の味を添えること、推移の曲線を大きくして進歩をおくらすこと、その曙《あけぼの》の色を鈍くすること、熱狂の酷烈さを公布し減退させること、圭角《けいかく》を削り爪牙《そうが》を切ること、勝利を微温的たらしむること、正義に衣を被《き》せること、巨人たる民衆にすみやかに寝間着をきせ床につかせること、過度の健康者を断食させること、ヘラクレスのごとき勇者に病後の人のごとき待遇を与えること、事変を術数のうちに丸め込むこと、理想に渇してる精神に麦湯を割った酒を与うること、あまりみごとな成功を得ないよう注意すること、革命に日除幕《ひよけ》を施すこと。
一八
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