忌すべきものである。
 この正義と事実との争いは、社会の初めより続いている。その闘争を絶滅せしめ、純なる観念と人間の現実とを混合せしめ、穏かに正義を事実のうちに浸透せしめ事実を正義のうちに浸透せしむること、それこそまさしく賢者の仕事である。

     二 悪き縫合

 しかしながら、賢者の仕事があるとともにまた巧者の仕事がある。
 一八三〇年の革命は早くその歩を止めた。
 革命が擱坐《かくざ》するや、巧者らはその蹉跌《さてつ》を寸断する。
 巧者らは十九世紀においては、自ら為政家という称号を取った。かくてこの為政家なる言葉は、ついに多少隠語の趣を有するに至った。実際人の知るとおり、巧妙のみしか存しないところには必然に卑小が存する。「巧者」というは「凡人」というに等しくなる。
 同様にまた、「為政家」というは時として「反逆人」というに等しい。
 それゆえに巧者らの言うところによれば、七月革命のごとき革命は、断ち切られたる動脈であって、すみやかに縫合するを要する。あまりに堂々と宣言されたる正義は他を動揺させる。ゆえに一度正義が確認さるるや、こんどは国家を再び固むるを要する。自由が確保さるるや、こんどは権力を考えなければならない。
 その点まではなお賢者は巧者を離れない、しかし既に互いに軽侮し始める。権力もよし、しかし第一に権力とは何ぞや、第二に権力はどこから来るか?
 そうつぶやかれる異議に巧者は耳を貸さないがようである、そしてなおおのれの仕事を続ける。
 おのれに有利な虚構の上に必要の仮面を着せるに巧みなそれら政治家の言によれば、一民衆が君主政の大陸に属する以上は、それが革命の後に第一に要するところのものは、すなわち一王朝をいただくことである。彼らは言う、かくして該民衆は革命の後に平和を得ることができる、換言すれば、傷を包帯し家を修復するの暇を得ることができる。王家は家の足場を隠し負傷者の病院を庇護《ひご》してくれる。
 しかるに、一王朝を迎えることは常に容易の業《わざ》ではない。
 厳密に言えば、だれにても天才ある者は、あるいはだれにても幸運なる者は、王たるに足りる。第一例にはボナパルトがあり、第二の例にはイツルビデ([#ここから割り注]訳者注 メキシコの将軍にて一八二二年に自ら皇帝となりし人[#ここで割り注終わり])がある。
 しかしながら、いずれの家系といえど
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