る。ある者は楽しく、ある者は悲壮である。けれども、その相違のいかんにかかわらず、それらの労働者らは皆、最高のものから最低のものに至るまで、最賢のものから最愚のものに至るまで、一つの類似点を持っている。すなわち無私ということを。マラーもイエスと同じくおのれを忘れている。彼らは皆おのれを捨て、おのれを脱却し、おのれのことを考えていない。彼らは自己以外のものを見ている。彼らは一の目を有している。その目はすなわち絶対なるものをさがし求めている。最高の者は一眸《いちぼう》のうちに天をすべて収めている。最下の者も、いかにいまだ空漠たろうとも、なおその眉目《びもく》の下に無窮なるもののかすかな輝きを持っている。そのなすところが何であろうとも、かかる標《しるし》を、星の瞳《ひとみ》を、有している者ならば、すべて皆尊むべきではないか。
 影の瞳はまた他の標である。
 そういう瞳より悪が始まる。目に光なき者こそは、注意すべき恐るべき者である。社会のうちには、暗黒なる坑夫もいる。
 発掘はやがて埋没となり、光明もやがて消えうせるような地点が、世にはあるものである。
 以上述べきたった鉱坑の下に、それらの坑道の下に、進歩と理想郷とのその広大なる地下の血脈系の下に、はるか地下深くに、マラーより下、バブーフより下、更に下、はるか遠く下に、上方の段階とは何らの関係もない所に、最後の坑道がある。恐るべき場所である。われわれが奈落《ならく》と呼んだのはすなわちそれである。それは暗黒の墓穴であり、盲目の洞穴である。どん底[#「どん底」に傍点]である。
 そこは地獄と通じている。

     二 どん底

 このどん底においては無私は消滅する。悪魔は漠然《ばくぜん》と姿を現わし、人は自己のことのみを考えている。盲目の自我が、咆《ほ》え、漁《あさ》り、模索し、かみつく。社会のウゴリノがこの深淵《しんえん》のうちにおる([#ここから割り注]訳者注 ウゴリノとは飢の塔のうちに幽閉されて餓死せる子供らの頭を咬める人――ダンテの神曲[#ここで割り注終わり])。
 その墓穴の中にさまよってる荒々しい人影は、ほとんど獣類ともまたは幽鬼とも称すべきものであって、世の進歩なるものを念頭にかけず、思想をも文字をも知らず、ただおのれ一個の欲望の満足をしか計っていない。彼らはほとんど何らの自覚も持たず、心の中には一種の恐るべき虚無を蔵している。ふたりの母を持っているが、いずれも残忍なる継母であって、すなわち無知と困窮とである。また嚮導者《きょうどうしゃ》としては欠乏を持っている。そしてそのあらゆる満足はただ欲情を満たすことである。彼らは恐ろしく貪慾《どんよく》である。換言すれば獰猛《どうもう》である、しかも暴君のごとくにではなく、猛虎《もうこ》のごとくに。それらの悪鬼は、難渋より罪悪に陥ってゆく。しかもそれは必然の経過であり、恐るべき変化であり、暗黒の論理的帰結である。社会の奈落《ならく》にはい回ってるものは、もはや絶対なるものに対する痛切な要求の声ではなく、物質に対する反抗の念である。そこにおいて人は竜《ドラゴン》となる。飢渇がその出発点であり、サタンとなることがその到達点である。そういう洞穴《どうけつ》から凶賊ラスネールが現われて来る。
 われわれは前に第四編において、上層の鉱区の一つ、すなわち政治的革命的哲学的の大坑道の一つを見てきた。既に述べたとおりそこにおいては、すべてが気高く、純潔で、品位あり、正直である。そこにおいても確かに、人は誤謬《ごびゅう》に陥ることがあり、また実際陥ってもいる。しかし壮烈さを含む間はその誤謬も尊むべきである。そこでなさるる仕事の全体は、進歩という一つの名前を持っている。
 今や他の深淵《しんえん》、恐るべき深淵を、のぞくべき時となった。
 われわれはあえて力説するが、社会の下には罪悪の大洞窟《だいどうくつ》が存している。そして無知が消滅する日まではそれはなお存するであろう。
 この洞窟は、すべてのものの下にあり、すべてのものの敵である。いっさいに対する憎悪である。この洞窟はかつて哲学者を知らず、その剣はかつてペンに鋳つぶされたことがない。その黒色はインキ壺《つぼ》の崇高なる黒色と何らかの関係を有したことがない。その息づまるばかりの天井の下に痙攣《けいれん》する暗黒の指は、かつて書物をひもとき新聞をひらいたことがない。バブーフも強賊カルトゥーシュに比すればひとりの探検家であり、マラーも凶漢シンデルハンネスに比すればひとりの貴族である。この洞窟《どうくつ》はいっさいのものの転覆を目的としている。
 しかりいっさいのものの。そのうちには、彼がのろう上層の坑道も含まれる。彼はその厭悪《えんお》すべき蠢動《しゅんどう》のうちに、啻《ただ》に現在の社会制度を掘り返すのみでなく、なお哲学をも、科学をも、法律をも、人類の思想をも、文明をも、革命をも、進歩をも、すべてを掘り返す。その名は単に窃盗、売笑、殺戮《さつりく》、刺殺である。彼は暗黒であり、混沌《こんとん》を欲する。彼をおおう屋根は無知で作られてある。
 他のすべてのもの、上層のすべての洞窟は、ただ一つの目的をしか有しない、すなわちこの洞窟を除去することである。哲学や進歩が、同時にその全器官をそろえて、現実の改善ならびに絶対なるものの静観によって、到達せんと目ざす所は実にこの一事にある。無知の洞窟を破壊するは、やがて罪悪の巣窟を破壊することである。
 以上述べきたったところの一部を数言につづめてみよう。曰く、社会の唯一の危険は暗黒にある。
 人類はただ一つである。人はすべて同じ土でできている。少なくともこの世にあっては、天より定められた運命のうちには何らの相違もない。過去には同じやみ、現世には同じ肉、未来には同じ塵《ちり》。しかしながら、人を作る捏粉《ねりこ》に無知が交じればそれを黒くする。その不治の黒色は、人の内心にしみ込み、そこにおいて悪となる。

     三 バベ、グールメル、クラクズー、およびモンパルナス

 クラクズーにグールメルにバベにモンパルナスという四人組みの悪漢が、一八三〇年から一八三五年まで、パリーの奈落《ならく》を支配していた。
 グールメルは、あたかも失脚したヘラクレス神のような男だった。その巣をアルシュ・マリオンの下水道に構えていた。身長六尺、大理石のような胸郭、青銅のような腕、洞穴《どうけつ》から出るような呼吸、巨人のような胴体、小鳥のような頭蓋《ずがい》。あたかもファルネーゼのヘラクレス神の像が、小倉のズボンと綿ビロードの上衣をつけた形である。そういう彫刻的な体躯《たいく》をそなえたグールメルは、怪物をも取りひしぎ得たであろうが、自ら怪物となることはなお容易であった。低い前額、広い顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》、年齢四十足らずで目尻《めじり》には皺《しわ》が寄り、荒く短い頭髪、毛むくじゃらの頬《ほお》、猪《いのしし》のような髯《ひげ》、それだけでもおよそその人物が想像さるるだろう。彼の筋肉は労働を求めていたが、彼の暗愚はそれをきらっていた。まったく怠惰な強力にすぎなかった。うかとした機会でも人を殺すことができた。植民地生まれの男だと一般に思われていた。一八一五年にアヴィニョンで運搬夫となっていたことがあるので、ブリューヌ元帥([#ここから割り注]訳者注 一八一五年アヴィニョンにて暗殺され河中に投ぜられし人[#ここで割り注終わり])にもいくらか手をつけたことがあるに違いない。その後運搬夫をやめて悪漢となったのである。
 バベの小柄なのは、グールメルの粗大と対照をなしていた。バベはやせており、また物知りだった。身体は薄いが、心は中々見透かし難かった。その骨を通して日の光は見られたが、その瞳《ひとみ》を通しては何物も見られなかった。彼は自ら化学者だと言っていた。ボベーシュの仲間にはいって道化役者となり、またボビノの仲間にはいって滑稽家《こっけいか》となっていたこともある。サン・ミイエルでは喜劇を演じたこともある。気取りやで、話し上手で、大げさにほほえみ、大げさに身振りをした。「国の首領」の石膏像《せっこうぞう》や肖像を往来で売るのを商売にしていた。それからまた歯抜きもやった。市場《いちば》で種々な手品を使ってみせた。一つの屋台店を持っていたが、それにラッパと次の掲示とをつけていた。――諸アカデミー会員歯科医バベ、金属および類金属に関し物理的実験を試み、歯を抜き、同業者の手の及ばざる歯根の治療をなす。価、歯一本一フラン五十サンチーム、二本二フラン、三本三フラン五十サンチーム、好機を利用せよ。――(この「好機を利用せよ」というのは、「でき得る限り歯を抜くべし」という意味であった。)彼は妻帯して子供を持っていた。しかし妻も子供らもその後どうなったか自ら知らなかった。ハンケチでも捨てるように彼らを捨ててしまったのである。新聞を読むことができたが、それはその暗黒な社会での一異彩だった。ある日、まだその屋台店のうちに家族をいっしょに引き連れていた頃、メッサジェー紙上で、ある女が牛のような顔をした子を生んだが子供も丈夫にしているということを読んで、彼は叫んだ。「これは金[#「これは金」に傍点]儲《もう》けになる[#「けになる」に傍点]! だが[#「だが」に傍点]俺《おれ》の女房はそんな子供を設けてくれるだけの知恵もねえんだからな[#「の女房はそんな子供を設けてくれるだけの知恵もねえんだからな」に傍点]。」
 それから後、彼はすべてをよして「パリーに手をつけ」初めた。これは彼自身の言葉である。
 クラクズーとは何であったか。暗夜そのものであった。彼は空が黒く塗られるのを待って姿を現わした。夜になると穴から出てきたが、夜が明けないうちにまたそこへ引っ込んでいった。その穴はどこにあるか、だれも知ってる者はなかった。まっくらな中ででも、仲間の者にまで背中を向けて口をきいた。そしてクラクズーというのも彼の実際の名前ではなかった。彼は言っていた、「俺《おれ》はパ・デュ・トゥー(皆無)というんだ。」もし蝋燭《ろうそく》の光でもさそうものなら、すぐに仮面をかぶった。彼はこわいろ使いだった。バベはよく言った、「クラクズーは二色の声を持ってる夜の鳥だ[#「クラクズーは二色の声を持ってる夜の鳥だ」に傍点]。」彼は朦朧《もうろう》とした恐ろしい、ぶらつき回ってる男だった。クラクズーというのは綽名《あだな》であって、果たして何か名前を持ってるかさえもわからなかった。口よりも腹から声を出すことが多いので、果たして声というものを持ってるかさえもわからなかった。だれもその仮面をしか見たことがないので、果たして顔を持ってるかさえもわからなかった。幻のように彼は忽然《こつぜん》と姿を消した。出て来る時も、まるで地面から飛び出してくるかと思われるほどだった。
 痛ましい者と言えばおそらくモンパルナスであったろう。まだ少年で、二十歳にも満たず、きれいな顔、桜桃《さくらんぼう》にも似た脣《くちびる》、みごとなまっ黒い頭髪、目に宿ってる春のような輝き、しかもあらゆる悪徳にしみ、あらゆる罪悪を望んでいた。悪を消化しつくしたので、更にひどい悪を渇望していた。浮浪少年から無頼漢となり、無頼漢から強盗と変じたのである。やさしく、女らしく、品があり、頑健《がんけん》で、しなやかで、かつ獰猛《どうもう》だった。一八二九年のスタイルどおりに、帽子の左の縁を上げて髪の毛を少し見せていた。強盗をして生活していた。そのフロック型の上衣は上等の仕立てではあったが、まったくすり切れていた。彼は困窮のうちに沈み殺害をも犯しつつしかもめかしやであった。この青年のあらゆる罪悪の原因は、美服をまといたいという欲望だった。「お前さんはきれいね、」と彼に言ったある一人の浮わ気女工は、彼の心のうちに一点の暗黒を投じ、そのアベルをしてカインたらしめたのである。自分のきれいであることを知って、彼は更に優美ならんことを欲した。しかるに第一の優美
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