ッられ踏みにじられた。しかもだれによってであるか。祖父によってではないか。一方を凌辱《りょうじょく》することなくして一方を復讐《ふくしゅう》することがどうしてできよう。祖父を辱《はずか》しむることはできない、また、父の讐《あだ》を報じないで捨ておくことも同じくできない。一方には神聖なる墳墓があり、他方には白髪がある。しばらく彼は酔ったようによろめきながら、頭の中には旋風が渦巻いた。やがて彼は目を上げ、祖父をじっと見つめ、そして雷のような声で叫んだ。
「ブールボン家なんかぶっ倒れるがいい、ルイ十八世の大豚めも!」
ルイ十八世はもう四年前に死んでいた。しかしそんなことは彼にはどうでもよかった。
老人はまっかになっていたが、突然髪の毛よりもなお白くなった。彼は暖炉の上にあったベリー公の胸像の方を向いて、変に荘重な態度で深く礼をした。それから黙ったままおもむろに暖炉から窓へ、窓から暖炉へと、二度|室《へや》の中を横ぎり、石の像が歩いてるように床《ゆか》をぎしぎしさした。二度目の時彼は、年取った羊のように惘然《もうぜん》としてその衝突をながめていた娘の方へ身をかがめて、ほとんど冷静な微笑をたたえて言った。
「この人のような男爵と、私《わし》のような市民とは、とうてい同じ屋根の下にいることはできない。」
そして急に身を起こし、まっさおになり、うち震い、恐ろしい様子になり、恐るべき憤怒の輝きに額を一段と大きくして、マリユスの方に腕を差し伸ばして叫んだ。
「出て行け。」
マリユスは家を去った。
翌日、ジルノルマン氏は娘に言った。
「あの吸血児の所へ六カ月ごとに六十ピストル([#ここから割り注]訳者注 ピストルは金貨にして十フランに当たる[#ここで割り注終わり])だけ送って、もう決してあいつのことを私の前で口にしてはいけません。」
まだ吐き出すべき激怒がたくさん残っており、しかもそのやり場に困って、彼はそれから三カ月以上も続けて、自分の娘に他人がましい冷ややかな口をきいていた。
マリユスの方でもまた、憤って家を飛び出した。そして彼の激昂《げっこう》を強めた一事があったことをちょっと言っておかなければならない。家庭の紛紜《ふんうん》を複雑にするそれらのこまかな不祥事が常にあるもので、たとい根本においてはそのために不正が増大するものではないとしても、損失はそのために大きくなるものである。ニコレットは祖父の命令によって、大急ぎでマリユスの「ぼろ屑《くず》」をその室《へや》に持ってゆきながら、自分でも気づかずに、たぶん薄暗い上の階段にでもあろうが、大佐の書いた紙片がはいっている黒い粒革《つぶかわ》の箱を落とした。そしてその紙も箱も見つからなかった。きっと「ジルノルマン氏」が――その日以来もうマリユスは祖父のことをそういうふうにしか決して呼ばなかった――「父の遺言」を火中に投じたものと、マリユスは思い込んだ。彼は大佐が書いたその数行を暗記していたので、結局何らの損害をも受けはしなかった。しかしその紙、その筆蹟、その神聖な形見、それは実に彼の心だったのである。それがどうされたのであるか?
マリユスはどこへ行くとも言わず、またどこへ行くつもりか自分でも知らず、三十フランの金と、自分の時計と、旅行鞄《りょこうかばん》に入れた二、三枚の衣服とを持って、家を出て行った。そして辻馬車《つじばしゃ》に飛び乗り、時間借りにして、ラタン街区の方へあてもなく進ました。
マリユスはどうなりゆくであろうか?
[#改ページ]
第四編 ABCの友
一 歴史的たらんとせし一団
外見は冷静であったがこの時代には、一種の革命的な戦慄《せんりつ》が漠然《ばくぜん》と行き渡っていた。一七八九年および一七九二年の深淵《しんえん》から起こった息吹《いぶき》は、空気の中に漂っていた。こういう言葉を用いるのが許されるならば、青年は声変わりの時期にあったのである。人々はほとんど自ら知らずして、当時の機運につれて変化しつつあった。羅針盤《らしんばん》の面《おもて》を回る針は、同じく人の心の中をも回っていた。各人はその取るべき歩みを前方に進めていった。王党は自由主義者となり、自由主義者は民主主義者となっていた。
それは多くの引き潮を交錯した一つの上げ潮のごときものであった。引き潮の特性は混和をきたすものである。そのためにきわめて不可思議な思想の結合を生じた。人々は同時にナポレオンと自由とを崇拝した。われわれは今ここに物語の筆を進めているが、この物語は実に当時の映像なのである。当時の人々の意見は多様な面を通過していた。ヴォルテール的勤王主義はずいぶんおかしなものであるが、ボナパルト的自由主義も同じく不可思議なもので、まったく好一対であった。
その他の精神的団体には、いっそうまじめなものがあった。それらの人々は原則を探究し、権利に愛着していた。絶対なるものに熱狂し、無限の実現をのぞき見ていた。絶対なるものはその厳酷さによって、人の精神を蒼空《そうくう》に向かわしめ、無限なるもののうちに浮動せしむる。夢想を生むには、独断に如《し》くものはない。そして未来を生み出すには、夢想に如《し》くものはない。今日の空想郷も、明日はやがて肉と骨とをそなうるに至るであろう。
進んだ思想は二重の基調を持っていた。秘奥が見えそめて来ると、疑わしい狡猾《こうかつ》な「打ち建てられたる秩序」は脅かされるに至った。それは最高の革命的徴候である。権力の下心は対濠《たいごう》のうちにおいて民衆の下心と相見《あいまみ》ゆる。暴動の孵化《ふか》はクーデターの予謀に策応する。
当時フランスには、ドイツのツーゲンドブンドやイタリーのカルボナリのごとき、広汎《こうはん》な下層の結社組織はまだ存していなかった。しかし所々に、秘密な開発が行なわれ、枝をひろげつつあった。クーグールド結社はエークスにできかかっていた。またパリーにはこの種の同盟が多くあったが、なかんずくABCの友なる結社があった。
ABCの友とは何であったか? 外見は子供の教育を目的としていたものであるが、実際は人間の擡頭《たいとう》を目的としていたものである。
彼らは自らABCの友と宣言していた。ABC《アーベーセー》とは、〔|Abaisse'〕《アベッセ》 にして、民衆の意であった([#ここから割り注]訳者注 両者の音が共通なるを取ったもので、アベッセは抑圧されたるものという意[#ここで割り注終わり])。彼らは民衆を引き上げようと欲していた。駄洒落《だじゃれ》だと笑うのはまちがいである。駄洒落はしばしば政治において重大なものとなることがある。その例、ナルセスを一軍の指揮官たらしめたカストラトスはカストラへ[#「カストラトスはカストラへ」に傍点](去勢者は陣営へ)。その例、バルバリとバルベリニ[#「バルバリとバルベリニ」に傍点](野蛮とバルベリニ)。その例、フエロスとフエゴス[#「フエロスとフエゴス」に傍点](法典とフエゴス)。その例、汝はペトロスなり[#「汝はペトロスなり」に傍点]、我このペトラムの上に[#「我このペトラムの上に」に傍点](汝はペテロなり、我この石の上に我が教会を建てん)。
ABCの友はあまり大勢ではなかった。それは芽ばえの状態にある秘密結社だった。もし親しい仲間というものが英雄になり得るとすれば、ほとんど親しい仲間と言ってもいい。彼らは巴里の二カ所で会合していた。一つは市場の近くのコラント[#「コラント」に傍点]と呼ぶ居酒屋、これは後になって問題となるものである。それからも一つは、パンテオンの近くで、サン・ミシェル広場のミューザン[#「ミューザン」に傍点]という小さな珈琲《コーヒー》店、これは今日なくなっている。第一の集会の場所は、労働者の出入りする所で、第二の方は学生の出入りする所だった。
ABCの友のふだんの秘密会は、ミューザン珈琲《コーヒー》店の奥室で催された。その広間は店からかなり離れていて、ごく長い廊下で店に通じ、窓が二つあり、グレー小路に面して秘密な梯子《はしご》がついてる出口が一つあった。人々はそこで煙草《たばこ》をふかし、酒を飲み、カルタ遊びをし、または笑い声をあげていた。ごく高い声であらゆることを語っていたが、あることは低い声で話し合っていた。壁には共和時代のフランスの古びた地図がかけられていたが、それだけでも警官の目を光らせるには十分だった。
ABCの友の大部分は若干の労働者らと親しく意志が疎通してる学生らであった。重なる人々の名前をあげれば下のとおりで、ある程度まで歴史のうちにはいるものである。すなわち、アンジョーラ、コンブフェール、ジャン・プルーヴェール、フイイー、クールフェーラック、バオレル、レグルまたはレーグル、ジョリー、グランテール。
それらの青年は、友情のあまり一種の家庭的な親しみを互いに持っていた。すべての人々は、レーグルは別として、南部生まれの者だった。
それは顕著なる一団であった。しかもわれわれの背後にある目に見えない深淵《しんえん》の中に消えうせてしまった。しかしその青年等が悲壮なる暴挙の影のうちに没してしまうのを見る前に、われわれがたどりきたった物語のこの所で、彼らの頭上に一条の光をさし向けてみることは、おそらく無益なことではないだろう。
われわれはアンジョーラを第一にあげたが、その理由は後にわかるだろう。彼は富裕なひとり息子であった。
アンジョーラは、魅力のあるしかも恐ろしいことをもやり得る青年だった。彼は天使のように美しかった。野蛮なるアンチノオス([#ここから割り注]訳者注 ハドリアヌス皇帝の寵臣たりし非常に美しきビシニヤ人のどれい[#ここで割り注終わり])であった。彼の目の瞑想的《めいそうてき》なひらめきを見れば、過去のある生活において、既に革命の黙示録を渉猟したもののように思われるのだった。彼は親しく目撃でもしたかのように革命の伝説を知っていた。偉大なる事物の些細《ささい》な点まですべて知っていた。青年には珍しい司教的なまた戦士的な性質だった。祭司であり、戦士であった。直接の見地から見れば、民主主義の兵士であり、同時代の機運を離れて見れば、理想に仕える牧師であった。深い瞳《ひとみ》と、少し赤い眼瞼《まぶた》と、すぐに人を軽蔑しそうな厚い下脣《したくちびる》と、高い額とを持っていた。顔に広い額があることは地平線に広い空があるようなものである。時々青ざめることもあったが、十九世紀の始めや十八世紀の終わりに早くから名を知られたある種の青年らのように、若い娘のようないきいきした有り余った若さを持っていた。既に大きくなっていながら、まだ子供のように見えた。年は二十二歳であるが、十七歳の青年のようだった。きわめてまじめで、この世に女性というものがいることを知らないかのようだった。彼の唯一の熱情は、権利であり、彼の唯一の思想は、障害をくつがえすことであった。アヴェンチノ山に登ればグラックスとなり、民約議会《コンヴァンシオン》におればサン・ジュストともなったであろう。彼はほとんど薔薇《ばら》を見たことがなく、春を知らず、小鳥の歌うのを聞いたことがなかった。エヴァドネの露《あら》わな喉《のど》にも、アリストゲイトンと同じく彼は心を動かされなかったであろう。彼にとってはハルモディオスにとってと同じく、花は剣を隠すに都合がよいのみだった。彼は喜びの中にあっても厳格だった。共和以外のすべてのものの前には、貞操を守って目を伏せた。彼は自由の冷ややかな愛人であった。彼の言葉は痛烈な霊感の調を帯び、賛美歌の震えを持っていた。彼は思いもよらない時に翼をひろげた。彼のそばにあえて寄り添わんとする恋人こそ不幸なるかなである。もしカンブレー広場やサン・ジャン・ド・ボーヴェー街の浮わ気女工らにして、中学から抜け出たばかりのような彼の顔、童《わらべ》のような首筋、長い金色の睫毛《まつげ》、青い目、風にそよぐ髪、薔薇色の頬《ほお》、溌剌《はつらつ》とした脣《くちびる》、美しい
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