揩チた。第一の妻にひとりの娘があって、結婚しないでいた。第二の妻にもひとりの娘があった。この方は三十歳ばかりで死んだが、その前に、一兵卒から成り上がりの軍人と、愛し合ったのか偶然でき合ったのかまたは何かで、結婚していた。その軍人は、共和政および帝政の頃に軍隊にはいっていて、アウステルリッツの戦に勲章をもらい、ワーテルローでは大佐になっていた。「これは私の家の恥だ[#「これは私の家の恥だ」に傍点]、」と老市民は言っていた。彼はまたひどく煙草《たばこ》が好きだった。それからことにちょっと手先でレースの襟飾《えりかざ》りをちぢらすのに巧みだった。彼はあまり神を信じていなかった。

     七 規定――晩ならでは訪客を受けず

 リュク・エスプリ・ジルノルマン氏とは右のような人物であった。彼は少しも頭髪を失わず、白髪《しらが》というよりもむしろ灰色の髪をしていて、いつも「犬の耳」式にそれをなでつけていた。要するに、そしてそれらのことをいっしょにして、彼は一個の敬愛すべき人物だった。
 彼は十八世紀式の人物であって、軽佻《けいちょう》にして偉大であった。
 王政復古の初めのころ、まだ若かったジ
前へ 次へ
全512ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング