ワ世はその二百壜を法王に贈られたものだ。」もし彼に、その黄金精液は実は鉄の過塩化物にすぎないのだと言ったら、彼は非常に絶望し狼狽《ろうばい》したに違いない。ジルノルマン氏はブールボン家を賛美し、恐怖のうちに一七八九年を過ごした。そしていかなる方法で恐怖時代をのがれていたか、いかに多くの快活と機才とが首を切られないためには必要であったかを、彼は絶えず語っていた。もしある若い者が彼の前で共和政を賛美でもしようものなら、彼は顔の色を変え息もつけないほどにいらだつのだった。時とすると彼は自分の九十歳ということに関連さして、こんなことを言った。「私は九十三という年を二度と見たくない[#「私は九十三という年を二度と見たくない」に傍点]。」([#ここから割り注]訳者注 ルイ十六世の死刑が行なわれた一七九三年にかけた言葉[#ここで割り注終わり])しかしまたある時には、百歳までは生きるつもりだと人にもらしていた。
五 バスクとニコレット
彼は定説を持っていた。その一つは次のようなものだった。「もし人が熱烈に女を愛し、しかも自分には、醜い、頑固《がんこ》な、正当な、権利を有し、法律を楯《た
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