V人だった。過去と称する漠然たる幻の立ちこめた曠野《こうや》を憂鬱《ゆううつ》にながめる人たちの頭には、その老人の姿がタンプル修道院に隣していた迷宮のような小路のうちにおぼろに浮かんでくる。その一郭の入り組んだ小路にはルイ十四世の頃はフランスの各地方の名前がつけられていて、あたかも今日ティヴォリの新しい街区の小路に欧州の各首都の名前がつけられてるのと同じであった。ついでに言うが、それは一つの前進であってそこに進歩が見られるではないか。
 ジルノルマン氏は一八三一年には飛び切りの長寿者だった。そしてその長く生きてきたという理由だけで滅多に見られない人となっており、昔は普通の人だったが今はまったくひとりっきりの人であるという理由で不思議な人となっていた。独特な老人で、いかにも時勢はずれの人で、十八世紀式の多少|傲慢《ごうまん》な完全な真の市民であり、侯爵らが侯爵ふうを持っているようにその古い市民ふうをなお保っていた。九十歳を越えていたが、腰も曲がらず、声も大きく、目もたしかで、酒も強く、よく食い、よく眠り、鼾《いびき》までかいた。歯は三十二枚そろっていた。物を読む時だけしか眼鏡《めがね》を
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