込み、断頭台に色目を使い、一七九三年の舞台裏で小唄《こうた》を歌いギターをひくとは、唾《つば》を吐きかけても足りん。それほど今の若者らはばかだ。皆そうだ。ひとりとしていい奴《やつ》はいない。街路《まち》に流れてる空気を吸えば、それでもう気が狂ってしまう。十九世紀は毒だ。どのいたずらっ児も、少しばかり山羊《やぎ》のような髯《ひげ》がはえ出すと、ひとかど物がわかった気になって、古い身内の者を捨ててしまう。何かと言えば共和だのロマンティックだのという。いったいロマンティックとは何だ。説明してもらいたいもんだ。ばかげきったことばかりじゃないか。エルナニ[#「エルナニ」に傍点]があったのは一年前だ([#ここから割り注]訳者注 本書の作者ユーゴーの戯曲で、一八三〇年その第一回公演はロマンティック運動のエポックメーキングのものとせらる[#ここで割り注終わり])。ところでそのエルナニとはどういうものか少し聞きたいもんだ。対偶法《アンチテーズ》だけだ、胸くそが悪くなるようなものだけだ、フランス語とさえもいえないものだ。それからまたルーヴルの中庭に大砲を据えるなどということをする。そういうことばかりが今の
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