セろう。それは貧しい家から飛び出してきた子供らである。市外の大通りは彼らの自由に息をつくべき場所である。郊外の地は彼らのものである。彼らはその辺をいつも遊び回る。卑賤《ひせん》な歌を無邪気に歌い回る。彼らはそこにいて、あるいはむしろそこに生存して、すべての人の目をのがれ、五月六月の柔らかな光の中で、地面に掘った穴のまわりにうずくまり、親指の先でおはじきをして一文二文を争い、何らの責任もなく放縦で放漫で幸福なのである。しかも市人の姿を認むるや、一つの仕事があることを思い出し、糧《かて》を得なければならぬことを思い出し、こがね虫のいっぱいはいった古い毛糸の靴足袋《くつたび》や一束のリラの花などを売りつけようとする。その不思議な子供らと出会うことは、同時におもしろいまた悲しいパリー付近の風致の一つである。
 時とするとそれらの男の児の群れには、女の児が交じってることもある。彼らの姉妹ででもあるのか? まだ年若い娘で、やせて、いらいらして、手の皮膚はかさかさになり、雀斑《そばかす》ができていて、裸麦や美人草の穂を頭につけ、快活で、荒っぽくて、跣足《はだし》になっている。畑の中でさくらんぼうを食
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