黷ゥらまたピエール・プラト・ド・シャーティヨン、そこには廃《すた》れた古い石坑が一つあって、今ではただ茸《きのこ》がはえるだけのことで、腐った板の引き戸で地面にふたがしてある。ローマの田舎《いなか》は人にある観念を与えるが、パリーの郊外もまた他の一つの観念を人に与える。眼前に現われてる地平線以内に、ただ野と人家と樹木とのみを見ることは、その表面にのみ止まることである。あらゆる事物の光景は、神の考えを含んでいる。平野が都市と接している場所には、人の心を貫くある言い知れぬ憂鬱《ゆううつ》が印せられている。そこでは自然と人類とが同時に口をきいている。地方的特色がそこに現われている。
 パリーの郭外に接しているそれら寂寞《せきばく》の地、パリーの縁とも称し得べきそれらの地、それをわれわれのように逍遙《しょうよう》したことのある者は、そこここに、最も寂しい場所に、意外の時に、薄い籬《まがき》のうしろやわびしい壁のすみに、泥にまみれ塵《ちり》にまみれぼろをまとい髪をぼうぼうとさした色の青い子供らが、がやがやと集まって、矢車草の花を頭にかぶって、めんこ遊びをしているのを、おそらくだれも見たことがある
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