Xメルは動物磁気研究の開祖[#ここで割り注終わり])に関するきわめて不思議な記録を赤いモロッコ皮の表紙で金縁にしてとじ上げた、十冊の手記のみだった。T夫人は品位を保ってそれらの記録を出版しなかった、そして、どうして浮き出してきたかだれにもわからないあるわずかな年収入で生活をささえていた。彼女は彼女のいわゆる雑種の社会[#「雑種の社会」に傍点]たる宮廷から離れて、気高い矜《ほこ》らかな貧しい孤立のうちに暮らしていた。一週に二回数人の知人が、その寡婦《かふ》の炉のまわりに集まることになっていて、そこに純粋な王党派の客間《サロン》をこしらえていた。皆お茶を飲んだ。そして時勢だの憲法だのブオナパルト派([#ここから割り注]訳者注 ブオナパルトはボナパルトの皮肉な呼称[#ここで割り注終わり])だの青色大綬を市民へ濫発《らんぱつ》することだのルイ十八世のジャコバン主義だのについて、風向きが悲歌的であるか慷慨的《こうがいてき》であるかに従って、あるいは嘆声を放ちあるいは嫌悪《けんお》の叫びを上げた。そしてシャール十世以来初めて王弟によってほの見えてきた希望のことを、低い声で語り合った。
そこでは、ナポレオンのことをニコラ[#「ニコラ」に傍点]と呼ぶ俗歌が非常に喜ばれた。社交界の最もやさしい美しい公爵夫人らが、「義勇兵ら」([#ここから割り注]訳者注 ナポレオンがエルバ島より帰還せし時の[#ここで割り注終わり])に向けられた次のような俗謡に我を忘れて喝采《かっさい》した。
[#ここから2字下げ]
ズボンの中に押し込めよ、
はみ出たシャツの片端を。
白き旗を愛国者らは
掲げたりと人に言わすな。([#ここから割り注]訳者注 白き旗は王党の旗[#ここで割り注終わり])
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また人々は、痛烈なものだと思ってる地口を言ってはおもしろがり、皮肉だと思ってる他愛もない洒落言葉《しゃれことば》を言ってはおもしろがり、四行句や対連句を言ってはおもしろがった。たとえばドゥカーズやドゥゼール氏らが連なっていた穏和なデソール内閣についての次のような句。
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ぐらつく王位を固めんためには、
土地《ソール》、室《セール》、小屋《カーズ》を取り代うべし。
[#ここで字下げ終わり]
あるいはまた、「おぞましきジャコバン院」である上院の名簿を作り、その中に種々な名前を組み合わして、たとえば次のような句をこしらえ上げた。「ダマス[#「ダマス」に傍点]、サブラン[#「サブラン」に傍点]、グーヴィオン[#「グーヴィオン」に傍点]・サン[#「サン」に傍点]・シール[#「シール」に傍点]([#ここから割り注]訳者注 みな王党の人々[#ここで割り注終わり])。」そして非常に愉快がった。
その仲間だけでまた革命の道化歌を作った。彼らは革命の暴威をあべこべに革命者どもの方へ向けさせようとする一種の下心を持っていた。人々はその小唄《こうた》の「よからん」を歌った。
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噫《ああ》、よからん、よからん、よからんや!
ブオナパルト派は絞首台!
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小唄は断頭台のようなものである。何らおかまいなしに、今日はこちらの首を切り、明日はあちらの首を切る。それは一つの変化にすぎない。
当時一八一六年の事件たるフュアルデス事件については([#ここから割り注]訳者注 行政官フュアルデス暗殺事件[#ここで割り注終わり])、人々は暗殺者バスティードやジョージオンの味方をした。なぜならフュアルデスは「ブオナパルト派」であったから。また人々は自由派を「兄弟同士[#「兄弟同士」に傍点]」と綽名《あだな》した。それは侮辱の極度のものであった。
教会堂の鐘楼に鶏形風見があるように、T男爵夫人の客間も二つの勇ましい牡鶏《おんどり》を持っていた。一つはジルノルマン氏で、一つはラモト・ヴァロア伯爵であった。この伯爵のことを人々は一種の敬意をもって互いにささやき合った。「御存じですか[#「御存じですか」に傍点]、あれが首環事件のラモト氏です[#「あれが首環事件のラモト氏です」に傍点]」([#ここから割り注]訳者注 一七八五年ごろラモト伯爵夫人によって惹起せられた有名な首環紛失事件[#ここで割り注終わり])。仲間の間ではそのような特殊な容捨も行なわれるのである。
なおここにちょっと付言する。市民間においては、光栄ある地位はあまりに容易な交際を許す時にはその光を減ずるものである。だれに出入りを許すかを注意しなければいけない。冷たいものが近づく時に温気《うんき》が失われるように、一般に軽蔑されてる人物を近づける時には尊敬が減ずるのである。しかし古い上流社会は、他の法則と同じくこの法則をも意に介しなかった。ポンパドゥール夫人の兄弟
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