焉Aその古い潔白の秘密を説明するものとするならしてもいいが、彼女はひとりの槍騎兵《そうきへい》の将校に抱擁されることを、別に不快がりもせずに許していた。それは彼女の甥《おい》の子で、テオデュールという名前だった。
 そのかわいがってる槍騎兵がひとりありはしたが、われわれが彼女に与えた似而非貞女[#「似而非貞女」に傍点]という付札は、まったくよく適当していた。ジルノルマン嬢は一種の薄明の魂であった。貞節を装うことは半端《はんぱ》の徳でありまた半端の不徳である。
 彼女は貞節を装うことのほかになお狂信癖を持っていた。実によく適当した裏地である。彼女はヴィエルジュ会にはいっており、ある種の祭典には白い面紗《ヴェール》をつけ、特殊な祈祷《きとう》をつぶやき、「聖なる血」を尊び、「聖《きよ》き心」を敬い、普通一般の信者どもには許されない礼拝堂の中で、ロココ・ゼジュイット式の祭壇の前に数時間じっと想を凝らし、そしてそこで、大理石像の群の間に、金箔《きんぱく》をかぶせた木材の大きな円光の輻《や》の中に、自分の心を翔《か》けらせるのであった。
 彼女は礼拝堂での友だちをひとり持っていた。同じく年老いた童貞の女で、名前をヴォーボアと言い、全然|愚蒙《ぐもう》な婆さんであって、ジルノルマン嬢はそのそばで一つの俊敏《しゅんびん》な鷲《わし》たるの愉快を感じていた。アグニュス・デイやアヴェ・マリア([#ここから割り注]訳者注 神の羊のものにて人はあるなり云々――めでたしマリアよ恵まるるものよ云々――という祈祷[#ここで割り注終わり])のほかにヴォーボア嬢は、種々な菓子を作る方法を心得てるきりで、他に何らの教養もそなえていなかった。一点の知力の汚点《しみ》もない愚昧《ぐまい》の完全な白紙であった。
 なお付記すべきことは、ジルノルマン嬢は老年になるにつれて悪くなるというよりもむしろよくなっていった。それは消極的な性質の者には通例のことである。彼女はかつて意地悪だったことはなかった。意地悪でないというのは一つの相対的な善良さである。それからまた、年ごとに圭角《けいかく》がとれてきて、時とともに穏和になってきた。彼女のうちには言い知れぬ哀愁がこめていて、自分でもその理由を知らなかった。彼女の様子のうちには、まだ初まらないうちに既に終わった一生涯がもつところの茫然《ぼうぜん》自失さがあった。
 彼女は父の家を整えていた。あたかもビヤンヴニュ閣下が自分のそばに妹を引きつけていたように、ジルノルマン氏は自分のそばに娘を引きとめていた。老人と老嬢との世帯は決して珍しいものではなく、ふたりの弱い者が互いによりかかってるありさまは常に人の心を打つ光景である。
 この一家の中には、以上の老嬢と老人とのほかに、なおひとりの少年がいた。小さな男の児で、いつもジルノルマン氏の前に身を震わして黙っていた。ジルノルマン氏がその子供に口をきく時は、いつもきびしい声を上げ、時として杖《つえ》を振り上げまでもした。「おいで、横着さん!――いたずらさん、こちらへおいで!――返事をしなさい、おばかさん!――顔をお見せ、ろくでなしさん!――云々《うんぬん》、云々。」そして彼はその子供を無性にかわいがっていた。
 それは彼の孫であった。この少年のことはおいおい述べるとしよう。
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   第三編 祖父と孫



     一 古き客間

 ジルノルマン氏はセルヴァンドニ街に住んでいたころ、幾つかのごくりっぱな上流の客間《サロン》に出入りしていた。彼は中流市民ではあったが、拒まれはしなかった。否かえって、彼は二重の機才を、一つは実際持っているものであり一つは持ってると人から思われていたものであるが、二重の機才をそなえていたので、喜んで迎えられ歓待された。彼は自分が羽振りをきかせ得る所へでなければどこへも出入りしなかった。どんな価を払っても常に勢力を欲し常にもてはやされることを欲する者が世にはある。彼らは自分が有力者であり得ない所では、道化物となるものである。ところがジルノルマン氏はそういう性質の人ではなかった。出入りする王党の客間《サロン》における彼の羽振りは、彼の自尊心を少しも傷けないものだった。彼は至る所で有力者だった。ド・ボナルド氏やバンジー・プュイ・ヴァレー氏にまで匹敵するほどになっていた。
 一八一七年ごろ、彼はきまって一週に二回はその午後を、近くのフェルー街のT男爵夫人の家で過ごすことにしていた。彼女はりっぱな尊敬すべき人物で、その夫はルイ十六世の時にベルリン駐剳《ちゅうさつ》のフランス大使だったことがある。このT男爵は、生存中磁気の研究に無我夢中になっていたが、革命時の亡命に零落してしまい、死後に残した財産としてはただ、メスメルとその小桶([#ここから割り注]訳者注 メ
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