娘、すべての者は、性と血縁と年齢と醜悪と潔白との差別なく暗澹《あんたん》たる混乱のうちにからみ合い、あたかも鉱石が作らるるように一つに凝結する。互いに寄り合って運命の破屋の中にうずくまる。互いに悲しげに見合わせる。おお不運なる者らよ! いかに青ざめてることか。いかに冷えきってることか。われわれよりもはるかに太陽から遠い星の中にいるかのようである。
あの若い娘はマリユスにとって、暗黒の世界からつかわされたもののようであった。
彼女はマリユスに、暗夜の恐ろしい一面を開いて見せた。
マリユスは、今まで空想と情熱とに心奪われて、隣の者らには一瞥《いちべつ》をも与えなかったことを、自ら難じた。彼らの家賃を払ってやったことは、ただ機械的の行為で、人の皆なすところであろう。しかし彼マリユスは、なおよりよきことをなすべきではなかったろうか。人の住む境域を越えた暗夜のうちに手探りで生きてるそれらの捨てられたる人々は、ただ一重の壁でへだたっていたのみではなかったか。彼は彼らと肱《ひじ》をすれ合わしていた。彼こそはある意味において、彼らが触れ得る人類の最後の鎖の環《わ》であった。自分のそばに彼らが生きてる物音が、否むしろ瀕死《ひんし》のあえぎをしてるのが、聞こえていたのである。しかも彼はそれに少しも注意をしなかった。日々に、刻々に、壁を通して、彼らが歩き行き来たり語るのが聞こえていた。しかも彼は耳を貸そうともしなかった。そして彼らの言葉のうちにはうめきの声が交じっていたが、彼はそれに耳を傾けようともしなかった。彼の頭は他にあって、夢想に、不可能の光輝に、空漠《くうばく》たる愛に、熱狂に向いていた。しかるに一方では、同じ人間が、イエス・キリストを通じての同胞が、民衆としての同胞が、彼のそばに苦しんでいた。甲斐《かい》なき苦しみをしていた。その上彼は、彼らの不幸の一部を助成し、彼らの不幸をいっそう重くしていた。なぜなれば、彼らがもし他の隣人を持っていたならば、彼よりもいっそう非空想的で注意深い隣人を持っていたならば、普通の恵み深い人を持っていたならば、必ずや彼らの困窮はその人の認むるところとなり、彼らの窮迫のありさまはその人の気づくところとなって、既に久しい前から彼らは収容せられ救われていたかも知れない。もとより彼らの様子は、きわめて退廃し、腐敗し、汚れ、嫌悪《けんお》すべきものとはなっていたけれど、しかし零落したる者は多く堕落するが常である。その上、不運なる者と汚れたる者という二つが混合し融合して、一つの宿命的な言葉、惨《みじ》めなる者という一語を成すがような一点が、世にはある。そしてそれもだれの誤ちであるか? そしてまた、その堕落が底深ければ深いほどいっそう大なる慈悲を与うべきではないか。
そうマリユスは自ら訓戒した。時として彼は、真に正直な人に見らるるように、自ら自分の教訓師となり、過度に自分を叱責《しっせき》することがあった。で今やそうしながら、ジョンドレットの一家をへだてる壁をじっと見守った。あたかも彼は、憐愍《れんびん》の情に満ちてる目でその壁を貫き、その不幸な人々をあたためんとしてるかのようだった。壁は割り板と角材とでささえた薄い漆喰《しっくい》で、前に言ったとおり、言葉と声音とをはっきり通さしていた。今までそれに気づかなかったとは、マリユスもよほどの夢想家だったに違いない。ジョンドレットの方にもまたマリユスの方にも、何らの壁紙もはってなかった。粗末な構造が露わに見えていた。マリユスはほとんど自ら知らないで、その壁を調べてみた。時としては夢想も思想がなすように物を調べ観察し精査する。マリユスは突然飛び上がった。高く天井に近い所に、三枚の割り板がよく合わないでできてる三角形の穴が一つあるのを、気づいたのである。そのすき間をふさいでいたはずの漆喰はなくなっていた。戸棚の上に上れば、そこからジョンドレットのきたない室の中は見られる。哀憐《あいれん》の情にも、好奇心があり、またあるべきはずである。そのすき間は一種ののぞき穴になっていた。不運を救わんがためには、それをひそかにながめることも許される。「彼らはどういう者であるか、またどんな状態でいるか、少し見てやろう、」とマリユスは考えた。
彼は戸棚の上にはい上がり、瞳《ひとみ》を穴にあてがい、そしてながめた。
六 巣窟《そうくつ》中の蛮人
都市にも森林と同じく、その最も猛悪なる者が身を隠してる洞窟《どうくつ》がある。ただ都市にあっては、かく身を隠す者は、獰猛《どうもう》で不潔で卑小で、一言にして言えば醜い。森林にあっては、身を隠す者は、獰猛で粗野で偉大で、一言にして言えば美しい。両者の巣窟を比ぶれば、野獣の方が人間よりもまさっている。洞窟は陋屋《ろうおく》よりも上である。
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