ABCの友はあまり大勢ではなかった。それは芽ばえの状態にある秘密結社だった。もし親しい仲間というものが英雄になり得るとすれば、ほとんど親しい仲間と言ってもいい。彼らは巴里の二カ所で会合していた。一つは市場の近くのコラント[#「コラント」に傍点]と呼ぶ居酒屋、これは後になって問題となるものである。それからも一つは、パンテオンの近くで、サン・ミシェル広場のミューザン[#「ミューザン」に傍点]という小さな珈琲《コーヒー》店、これは今日なくなっている。第一の集会の場所は、労働者の出入りする所で、第二の方は学生の出入りする所だった。
 ABCの友のふだんの秘密会は、ミューザン珈琲《コーヒー》店の奥室で催された。その広間は店からかなり離れていて、ごく長い廊下で店に通じ、窓が二つあり、グレー小路に面して秘密な梯子《はしご》がついてる出口が一つあった。人々はそこで煙草《たばこ》をふかし、酒を飲み、カルタ遊びをし、または笑い声をあげていた。ごく高い声であらゆることを語っていたが、あることは低い声で話し合っていた。壁には共和時代のフランスの古びた地図がかけられていたが、それだけでも警官の目を光らせるには十分だった。
 ABCの友の大部分は若干の労働者らと親しく意志が疎通してる学生らであった。重なる人々の名前をあげれば下のとおりで、ある程度まで歴史のうちにはいるものである。すなわち、アンジョーラ、コンブフェール、ジャン・プルーヴェール、フイイー、クールフェーラック、バオレル、レグルまたはレーグル、ジョリー、グランテール。
 それらの青年は、友情のあまり一種の家庭的な親しみを互いに持っていた。すべての人々は、レーグルは別として、南部生まれの者だった。
 それは顕著なる一団であった。しかもわれわれの背後にある目に見えない深淵《しんえん》の中に消えうせてしまった。しかしその青年等が悲壮なる暴挙の影のうちに没してしまうのを見る前に、われわれがたどりきたった物語のこの所で、彼らの頭上に一条の光をさし向けてみることは、おそらく無益なことではないだろう。
 われわれはアンジョーラを第一にあげたが、その理由は後にわかるだろう。彼は富裕なひとり息子であった。
 アンジョーラは、魅力のあるしかも恐ろしいことをもやり得る青年だった。彼は天使のように美しかった。野蛮なるアンチノオス([#ここから割り注]訳者注 ハドリアヌス皇帝の寵臣たりし非常に美しきビシニヤ人のどれい[#ここで割り注終わり])であった。彼の目の瞑想的《めいそうてき》なひらめきを見れば、過去のある生活において、既に革命の黙示録を渉猟したもののように思われるのだった。彼は親しく目撃でもしたかのように革命の伝説を知っていた。偉大なる事物の些細《ささい》な点まですべて知っていた。青年には珍しい司教的なまた戦士的な性質だった。祭司であり、戦士であった。直接の見地から見れば、民主主義の兵士であり、同時代の機運を離れて見れば、理想に仕える牧師であった。深い瞳《ひとみ》と、少し赤い眼瞼《まぶた》と、すぐに人を軽蔑しそうな厚い下脣《したくちびる》と、高い額とを持っていた。顔に広い額があることは地平線に広い空があるようなものである。時々青ざめることもあったが、十九世紀の始めや十八世紀の終わりに早くから名を知られたある種の青年らのように、若い娘のようないきいきした有り余った若さを持っていた。既に大きくなっていながら、まだ子供のように見えた。年は二十二歳であるが、十七歳の青年のようだった。きわめてまじめで、この世に女性というものがいることを知らないかのようだった。彼の唯一の熱情は、権利であり、彼の唯一の思想は、障害をくつがえすことであった。アヴェンチノ山に登ればグラックスとなり、民約議会《コンヴァンシオン》におればサン・ジュストともなったであろう。彼はほとんど薔薇《ばら》を見たことがなく、春を知らず、小鳥の歌うのを聞いたことがなかった。エヴァドネの露《あら》わな喉《のど》にも、アリストゲイトンと同じく彼は心を動かされなかったであろう。彼にとってはハルモディオスにとってと同じく、花は剣を隠すに都合がよいのみだった。彼は喜びの中にあっても厳格だった。共和以外のすべてのものの前には、貞操を守って目を伏せた。彼は自由の冷ややかな愛人であった。彼の言葉は痛烈な霊感の調を帯び、賛美歌の震えを持っていた。彼は思いもよらない時に翼をひろげた。彼のそばにあえて寄り添わんとする恋人こそ不幸なるかなである。もしカンブレー広場やサン・ジャン・ド・ボーヴェー街の浮わ気女工らにして、中学から抜け出たばかりのような彼の顔、童《わらべ》のような首筋、長い金色の睫毛《まつげ》、青い目、風にそよぐ髪、薔薇色の頬《ほお》、溌剌《はつらつ》とした脣《くちびる》、美しい
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