チた暖炉のまわりに丸くすわり、青い覆《おお》いをしたランプの光にほのかに照らされ、きびしい顔つきをし、灰色かまたは白い頭髪をし、寂しい色しかわからない時勢おくれの長い上衣を着、長い間を置いては時々堂々たるまたきびしい言葉を発しながら、みなそこに集まっている時、小さなマリユスはびっくりした目で彼女らをながめて、婦人というよりもむしろ古代の長老や道士を見るような気がし、実在の人物というよりもむしろ幽霊を見るような気がした。
それらの幽霊に交じってまた、その古い客間には常客たる数人の牧師がおり、それから数人の貴族らがいた。ベリー夫人の第一秘書役たるサスネー侯爵、シャール・ザントアンヌという匿名で単韻の短詩を出版したヴァロリー子爵、金の綯総《よりふさ》のついた緋《ひ》ビロードの服をつけ首筋を露《あら》わにしてこの暗黒界を脅かしてるきれいな才ばしった妻を持ち、かなり若いのに胡麻塩《ごましお》の頭を持っていたボーフルモン侯、最もよく「適宜な礼儀」を心得ていたフランス中での男たるコリオリ・デスピヌーズ侯爵、愛嬌《あいきょう》のある頤《あご》をした好人物アマンドル伯爵、王の書斎と言われてるルーヴルの図書館の柱石であるポール・ド・ギー騎士。このポール・ド・ギー氏は、年取ったというよりもむしろ古くなったという方が適当な禿頭《はげあたま》の人で、その語るところによると、一七九三年十六歳のおり、忌避者として徒刑場に投ぜられ、やはり忌避者たる八十歳の老人ミールポア司教と同じ鎖につながれたそうである。ただし彼の方は兵役忌避者であったが、司教の方は僧侶法忌避者であった。それはツーロンの徒刑場だった。彼らの役目は、夜間断頭台の所へ行って、昼間そこで処刑された者の首と身体とを拾って来ることだった。彼らは血のしたたる胴体を背にかついできた。そして徒刑囚としての赤い外套《がいとう》は、朝にはかわき晩にはぬれて、首筋の後ろに血潮の厚い皮ができるようになったそうである。そういう悲壮な物語はT夫人の客間に満ち満ちていた。そしてマラーをののしる勢いに駆られて、トレスタイヨンまでを賞揚した。過激王党的な数人の代議士は、ホイストの勝負を争っていた、ティボール・デュ・シャラール氏、ルマルシャン・ド・ゴミクール氏、および右党で名高い嘲笑者《ちょうしょうしゃ》のコルネー・ダンクール氏など。大法官フェルレットは、その短い
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