uドンヌール勲章のオフィシエ受賞者だぞ」に傍点]。」ポンメルシーは答えた。「陛下[#「陛下」に傍点]、やがて寡婦たるべき妻のために御礼を申しまする[#「やがて寡婦たるべき妻のために御礼を申しまする」に傍点]。」一時間後に彼はオーアンの峡路におちいった。さてこのジョルジュ・ポンメルシーとは何人《なんびと》であったか。それはやはりあの「ロアールの無頼漢」その人であった。
 以上が彼の経歴の大略である。ワーテルローの戦いの後、読者は思い起こすであろうが、ポンメルシーはオーアンの凹路《おうろ》から引き出され、首尾よく味方の軍隊に合することができ、野戦病院から野戦病院へ運び回され、ついにロアールの舎営地に落ち着いたのである。
 王政復古のために彼は俸給を半減され、次にヴェルノンの住居へ、すなわち監視の下に、置かれることになった。国王ルイ十八世は一百日([#ここから割り注]訳者注 ナポレオンの再挙の間のこと[#ここで割り注終わり])のうちに起こったすべては無効であると考えていたので、彼に対しても、レジオン・ドンヌール勲章のオフィシエ受賞者であることも、大佐の階級も、男爵の肩書きも、少しも認めてはくれなかった。彼の方ではまた、あらゆる場合に陸軍大佐男爵ポンメルシー[#「陸軍大佐男爵ポンメルシー」に傍点]と署名することを欠かさなかった。彼は古い青服を一つしか持たなかった。そして外出する時にはいつも、レジオン・ドンヌール勲章のオフィシエの略綬《りゃくじゅ》をそれにつけていた。検察官は彼に「該勲章の不法|佩用《はいよう》」について検事局が起訴するかも知れないと予告してやった。その注意がある公然の規定をふんで手もとに達した時、ポンメルシーはにがにがしい微笑を浮かべて答えた。「私の方でもはやフランス語を了解しなくなったのか、あるいはあなたの方でもはやフランス語を話さなくなったのか、いずれだか知れないが、とにかく私にはあなたの言うことがわからない。」それから彼は一週間続けてその赤い略綬をつけて外出した。だれもあえてとがめる者はなかった。また二、三度陸軍大臣と管轄の司令官とは、「ポンメルシー少佐殿へ[#「ポンメルシー少佐殿へ」に傍点]」として手紙を贈った。それらの手紙を彼は封も開かないで返送してしまった。やはりちょうどそのころ、セント・ヘレナにいたナポレオンは、「ボナパルト将軍へ[#「ボナパル
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