ネ名前を組み合わして、たとえば次のような句をこしらえ上げた。「ダマス[#「ダマス」に傍点]、サブラン[#「サブラン」に傍点]、グーヴィオン[#「グーヴィオン」に傍点]・サン[#「サン」に傍点]・シール[#「シール」に傍点]([#ここから割り注]訳者注 みな王党の人々[#ここで割り注終わり])。」そして非常に愉快がった。
 その仲間だけでまた革命の道化歌を作った。彼らは革命の暴威をあべこべに革命者どもの方へ向けさせようとする一種の下心を持っていた。人々はその小唄《こうた》の「よからん」を歌った。

[#ここから2字下げ]
噫《ああ》、よからん、よからん、よからんや!
ブオナパルト派は絞首台!
[#ここで字下げ終わり]

 小唄は断頭台のようなものである。何らおかまいなしに、今日はこちらの首を切り、明日はあちらの首を切る。それは一つの変化にすぎない。
 当時一八一六年の事件たるフュアルデス事件については([#ここから割り注]訳者注 行政官フュアルデス暗殺事件[#ここで割り注終わり])、人々は暗殺者バスティードやジョージオンの味方をした。なぜならフュアルデスは「ブオナパルト派」であったから。また人々は自由派を「兄弟同士[#「兄弟同士」に傍点]」と綽名《あだな》した。それは侮辱の極度のものであった。
 教会堂の鐘楼に鶏形風見があるように、T男爵夫人の客間も二つの勇ましい牡鶏《おんどり》を持っていた。一つはジルノルマン氏で、一つはラモト・ヴァロア伯爵であった。この伯爵のことを人々は一種の敬意をもって互いにささやき合った。「御存じですか[#「御存じですか」に傍点]、あれが首環事件のラモト氏です[#「あれが首環事件のラモト氏です」に傍点]」([#ここから割り注]訳者注 一七八五年ごろラモト伯爵夫人によって惹起せられた有名な首環紛失事件[#ここで割り注終わり])。仲間の間ではそのような特殊な容捨も行なわれるのである。
 なおここにちょっと付言する。市民間においては、光栄ある地位はあまりに容易な交際を許す時にはその光を減ずるものである。だれに出入りを許すかを注意しなければいけない。冷たいものが近づく時に温気《うんき》が失われるように、一般に軽蔑されてる人物を近づける時には尊敬が減ずるのである。しかし古い上流社会は、他の法則と同じくこの法則をも意に介しなかった。ポンパドゥール夫人の兄弟
前へ 次へ
全256ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング