オ、喧嘩《けんか》をし、乞食《こじき》小僧のようなぼろをまとい哲人のような弊衣をつけ、下水の中をあさり、塵溜《ちりだめ》の中を狩り、汚物のうちから快活を引き出し、町の巷《ちまた》に天下の奇想をまき散らし、冷笑し風刺し、口笛を吹き歌を歌い、歓呼し罵詈《ばり》し、アレリュイアとマタンチュルリュレットと([#ここから割り注]訳者注 歓呼の賛歌とのろいの賛歌と[#ここで割り注終わり])をあわせ用い、デ・プロフォンディスからシアンリまで([#ここから割り注]訳者注 荘重な聖歌から卑しい俗歌まで[#ここで割り注終わり])あらゆる調子を口ずさみ、求めずして見いだし、知らないことをも知り、すりを働くほどに謹厳であり、賢者たるまでにばかであり、不潔なるまでに詩的であり、神々の上にうずくまり、糞便《ふんべん》の中に飛び込んで星を身につけて出て来る。実にパリーの浮浪少年は小ラブレー([#ここから割り注]訳者注 十六世紀の快活な風刺詩人[#ここで割り注終わり])である。
 彼らは時計入れの内隠しがついてるズボンでなければ満足しない。
 彼らはあまり驚くことがなく、恐れることはなお更少なく、迷信を軽蔑し、誇張をへこまし、神秘を愚弄《ぐろう》し、幽霊をばかにし、架空をうち倒し、浮誇を滑稽化《こっけいか》する。それは彼らが散文的だからでは決してない。反対に彼らは、荘重な幻影を道化《どうけ》た幻と変えるまでである。もしアダマストール([#ここから割り注]訳者注 ヴァスコ・ダ・ガマの前につっ立ったという喜望峰を守っている巨人[#ここで割り注終わり])が彼らに現われたとしても、彼らは言うであろう、「おやあ、案山子《かがし》めが!」

     四 その有用な点

 パリーは弥次馬《やじうま》に初まり、浮浪少年に終わる。この二つは他のいずれの都市にも見られないものである。一つはただながめるだけで満足する消極的なものであり、一つは進取的に限りない手段をめぐらす。プリュドンムとフーイユーとである([#ここから割り注]訳者注 無能尋常の典型と悪戯発明の典型[#ここで割り注終わり])。パリーのみがこの二つをその博物誌のうちに持っている。各王政は弥次馬のうちにあり、各無政府は浮浪少年のうちにある。
 パリーの場末のこの青白い子供は、困苦の中に、社会の現実と人間の事がらとの前に考え深く目を開きながら、生活し生長し、
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