tを借りる時、ジョンドレットという名前だと言った。引っ越してきてから、と言っても、借家主婆さんのうまい言い方を借りれば、それはまったく身体だけの引っ越し[#「身体だけの引っ越し」に傍点]にすぎなかったが、その後しばらくしてジョンドレットは、前の婆さんと同じく門番でまた掃除女《そうじおんな》であるその借家主婆さんに、次のように言ったことがある。「婆さん、もしだれかひょっとやってきて、ポーランド人とか、イタリア人とか、またスペイン人とかを尋ねる者があったら、それは私のことだと思っていてもらいましょう。」
 その一家族は、あの愉快なはだしの少年の家族だった。少年はそこへやってきても、見いだすものはただ貧窮と悲惨とだけで、それになおいっそう悲しいことには、何らの笑顔をも見いださなかった。竈《かまど》も冷えておれば、人の心も冷えている。彼がはいってゆくと、家の者は尋ねた、「どこからきたんだい。」彼は答えた、「おもてからさ。」また彼が出て行こうとすると、家の者は尋ねた、「どこへ行くんだい。」彼は答えた、「おもてへさ。」母親はいつも言った、「何しに帰ってきたんだい。」
 その少年は、窖《あなぐら》の中にはえた青白い草のように、まったく愛情のない中に生きていた。けれども彼はそれを少しも苦にせず、まただれをも恨まなかった。彼はいったい両親というものはどうあるべきものかということをもよくは知らなかった。
 それでも、母親は彼の姉たちをかわいがっていた。
 言うのを忘れていたが、タンプル大通りではこの少年を小僧ガヴローシュと言っていた。なぜガヴローシュと呼ばれたかというと、おそらくその父親がジョンドレットというからだったろう。
 家名を断つということは、ある種の悲惨な家族における本能らしい。
 ジョンドレット一家が住んでいたゴルボー屋敷の室《へや》は、廊下の端の一番奥だった。そしてそれと並んだ室にはマリユス君というごく貧しいひとりの青年が住んでいた。
 このマリユス君が何人《なんびと》であるかは、次に説明しよう。
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   第二編 大市民



     一 九十歳と三十二枚の歯

 ブーシュラー街やノルマンディー街やサントンジュ街などには、ジルノルマンという爺《じい》さんのことを覚えていて喜んで話してくれる昔からの住人が、今なおいくらか残っている。彼らが若い頃その人はもう
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