りはまったく牛とでも申したいくらいで。」
 女房はその賛辞に動かされて、媚《こ》びられた怪物が嬌態《しな》を作るような様子で言った。
「あなたはいつもほんとに親切でね、ジョンドレット。」
「ジョンドレットですって。」とルブラン氏は言った。「私はまたファバントゥー君というのだと思っていましたが。」
「ファバントゥー一名ジョンドレットでありまして、」と亭主は急いで言った、「俳優の雅号でございます。」
 そしてルブラン氏に気づかれぬようちょっと肩をそびやかして女房をたしなめ、力をこめた媚びるような調子で言い進んだ。
「いや、この家内と私とは、いつも仲よく暮らしていますんで、そういうことでもなかった日には、もう世に何の楽しみもございません。私どもはそれほど不仕合わせなので、旦那様。腕はあっても仕事はありませず、元気はあっても働く所がありません。いったい政府はどうしているのでしょう。私は決して旦那、過激党ではございません、騒ぎを起こす者ではございません、政府に楯《たて》をつく者ではございません。ですが私がもし大臣にでもなりましたら、断じてこんな状態にはして置きません。まあたとえば、私は娘どもに紙細工の職業でも覚えさしたかったのです。なに職業を? とおっしゃるのですか。さようです、職業で、ほんのちょっとした職業で、パンを得るだけのものでございます。何という落ちぶれかたでしょう。旦那様。昔の姿と比べては何という零落でございましょう。ほんとに、盛んな時のものは何一つ残ってはいません。ただ一つだけで何にも残ってはいません。ただ一つと申しますのは、ごく大事にしています画面ですが、それをも手離そうというのでございます。何しろ食っては行かなくちゃなりませんので、まったく食ってだけはゆかなくちゃなりませんので。」
 ジョンドレットがそういうふうに、考え深い狡猾《こうかつ》そうな顔の表情を保ちながらも表面上何ら前後の考えもなさそうなふうでしゃべっているうちに、マリユスはふと目をあげて、今まで見なかったひとりの男を室《へや》の奥に認めた。その男は、扉《とびら》の音も立てずに静かにはいってきたのである。紫色の毛編みのチョッキを着ていたが、それもすり切れよごれ裂けた古いもので、折り目の所には皆穴があいていた。それからまた、綿ビロードの大きなズボンをはき、足には木靴《きぐつ》をつっかけ、シャツも着ず、
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