十五カ月以来初めて彼は考えた。
そしてまた初めて彼は、心のうちでとは言え、ルブラン(白)氏などという綽名《あだな》でその知らない紳士を呼んでいたことに、ある不敬さを感じた。
そして彼は頭をたれ、手にしてるステッキの先で砂の上に物の形を描きながら、数分間じっとしていた。
それから突然向きを変え、ベンチとルブラン氏とその娘とを後ろにして、自分の家へ帰っていった。
その日彼は夕食を食いにゆくことを忘れた。晩の八時ごろそれに気づいたが、もうサン・ジャック街までやって行くにはあまり遅かったので、なあにと言って、一片のパンだけをかじった。
彼は上衣にブラシをかけ、丁寧にそれを畳んでから、ようやく寝床にはいった。
五 ブーゴン婆さんのたびたびの驚き
ブーゴン婆さん――と言うのは、ゴルボー屋敷の借家主で門番で兼世帯女である婆さんで、実際は前に言ったとおりブュルゴンという名だったが、何物をも尊敬したことのないひどいクールフェーラックの奴《やつ》が、そう名づけてしまったのである([#ここから割り注]訳者注 ブーゴン婆とはぐずり婆の意[#ここで割り注終わり])。――ブーゴン婆さんは、その翌日、マリユスがまた新しい上衣を着て出かけるのを見て、あきれてしまった。
マリユスはまたリュクサンブールの園に行ったが、道の中ほどにあるベンチより先へは行かなかった。前のように彼はそこに腰掛け、遠くからながめて、白い帽子と黒い長衣とまたことに青い輝きをはっきり見た。彼はそこを動きもせず、リュクサンブールの門がしまる時にようやく帰っていった。ルブラン氏とその娘とが帰ってゆく姿は見えなかった。それで彼は、ふたりはウエスト街の門から出て行ったのだろうと推定した。その後、数週間後のことであったが、その時のことを考えてみた時、彼はその晩どこで夕食をしたかどうしても思い出せなかった。
その翌日、もう三日目であったが、ブーゴン婆さんはまた驚かされた。マリユスは新しい上衣を着て出かけたのである。
「まあ三日続けて!」と彼女は叫んだ。
彼女はあとをつけてみようとした。しかしマリユスは早く大またに歩いていた。あたかも河馬が羚羊《かもしか》を追っかけるようなものだった。二、三分とたたないうちに、彼女はマリユスの姿を見失い、息を切らして戻ってきた。喘息《ぜんそく》のためにほとんど息をつまらして、ひ
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