ある。第二は、ファトゥー射的場の隣だったので、終日|拳銃《ピストル》の音がして、それにたえ得なかったからである。
 彼はその特産植物誌と銅版と植物標本と紙ばさみと書物とを持って、サルペートリエール救済院の近くに、オーステルリッツ村の茅屋《ぼうおく》に居を定めた。そこで彼は年に五十エキュー(二百五十フラン)で、三つの室《へや》と、籬《まがき》で囲まれ井戸のついてる一つの庭を得たのである。彼はその移転を機会として、ほとんどすべての家具を売り払ってしまった。そして新しい住居にはいってきた日、きわめて愉快そうで、版画や植物標本をかける釘《くぎ》を自分で打ち、残りの時間は庭を掘り返すことに使い、晩になって、プリュタルク婆さんが陰気な様子をして考え込んでるのを見ると、その肩をたたいてほほえみながら言った、「おい、藍《あい》ができるよ。」
 ただふたりの訪問客、ポルト・サン・ジャックの本屋とマリユスとだけが、そのオーステルリッツの茅屋で彼に会うことを許されていた。なお落ちなく言えば、戦争にちなんだこの殺伐な地名は、彼にはかなり不愉快でもあった。
 なおまた、前に指摘してきたとおり、一つの知恵か、一つの熱狂か、あるいはまた往々あるとおりその両方に、まったくとらえられてしまってる頭脳は、実生活の事物に通ずることがきわめて遅いものである。自分自身の運命が彼らには遠いものである。そういう頭脳の集中からは一種の受動性が生ずるもので、それが理知的になると哲学に似寄ってくる。衰微し、零落し、流れ歩き、倒れまでしても自分ではそれにあまり気がつかない。実際ついには目をさますに至るけれど、それもずっと後のことである。それまでは、幸と不幸との賭事《かけごと》の中で局外者のように平気でいる。彼らはその間に置かれた賭金でありながら、不関焉《かんせずえん》として両方をぼんやりながめている。
 そういうふうにして、自分のまわりに希望が相次いで消えてゆきしだいに薄暗くなるにもかかわらず、マブーフ氏はどこか子供らしくしかもきわめて深く落ち着き払っていた。彼の精神の癖は振り子の動揺にも似ていた。一度幻でねじが巻かれると長く動いていて、その幻が消えてもなお止まらなかった。時計は鍵《かぎ》がなくなった時に急に止まるものではない。
 マブーフ氏は他愛ない楽しみを持っていた。その楽しみは金もかからずまた思いも寄らぬものだっ
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