ますマレーで隠退の生活を送るようになった。なお昔のとおり快活で激烈ではあったが、その快活さも悲しみと怒りを含んでるかのように痙攣的《けいれんてき》の峻酷《しゅんこく》さを帯び、その激烈さも常に一種の静かな陰鬱《いんうつ》な銷沈《しょうちん》に終わった。時とすると彼は言った、「ああ、もし帰ってきたら、したたか打ってやるんだが!」
伯母《おば》の方は、そう深く考えてもいず、そう多く愛してもいなかった。彼女にとっては、マリユスはもはやただ黒いぼんやりした映像にすぎなかった。そしてついには、おそらく彼女が飼っていたに違いない猫《ねこ》か鸚鵡《おうむ》ほどにもマリユスのことを気にとめなかった。
ジルノルマン老人のひそかな苦しみがいっそう増した所以《ゆえん》は、彼がそれを全部胸のうちにしまい込んで少しも人に覚《さと》られないようにしたからである。彼の苦しみは新しく発明されたあの自ら煙をも燃やしつくす竈《かまど》のようなものだった。時とするとよけいな世話やきの者らがマリユスのことを持ち出して、彼に尋ねることもあった。お孫さんは何をなさいました?……あるいは、どうなられました? すると老人は、あまりに悲しい時には溜息《ためいき》をつきながら、あるいは快活なふうを見せたい時には袖《そで》を爪ではじきながら、こう答えた。「男爵ポンメルシー君はどこかのすみで三百代言をやっているそうです。」
老人がかく愛惜している一方に、マリユスは自ら祝していた。あらゆる善良な心の人におけるがように、不幸は彼から苦々《にがにが》しさを除いてしまった。彼は今やジルノルマン氏のことを考えるにもただ穏和な情をもってするのみだった。しかし父に対して不親切であった[#「父に対して不親切であった」に傍点]その男からはもはや何物をも受けまいと決心していた。そしてそれは、最初の憤激が今やよほどやわらいだのを示すものだった。その上彼は、今まで苦しみ今もなお苦しんでいることを幸福に感じていた。それは父のためだったのである。生活の困難は彼を満足させ彼を喜ばせた。彼は一種の喜悦の情をもって自ら言っていた。――これは極めて[#「これは極めて」に傍点]些細《ささい》なことだ[#「なことだ」に傍点]。この些細なことも一つの贖罪《しょくざい》だ。もしこの贖罪がなかったならば、自分の父に対して、あのような父に対して、かつて不信にも背
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