しゃれぶし》があった。
 アンジョーラは首領、コンブフェールは指導者、クールフェーラックは中心であった。他の二者がより多く光明を与えたとすれば、彼はより多く温熱を与えた。実際、彼は中心たるすべての特長、丸みと喜色とを持っていたのである。
 バオレルは一八二二年六月の血腥《ちなまぐさ》い騒動の時、若いラールマンの葬式のおりに顔を出したことがあった。
 バオレルはいつも上きげんで、悪友で、勇者で、金使いが荒く、太っ腹なるまでに放蕩者《ほうとうもの》で、雄弁なるまでに饒舌《じょうぜつ》で、暴慢なるまでに大胆であった。最も善良なる魔性の者であった。大胆なチョッキをつけ、まっかな意見を持っていた。偉大なる騒擾者《そうじょうしゃ》、言いかえれば、騒乱のない時には喧嘩《けんか》ほど好きなものはなく、革命のない時には騒乱ほどの好きなものはなかった。いつでも窓ガラスをこわしたり、街路の舗石《しきいし》をめくったり、政府を顛覆《てんぷく》したりすることをやりかねない男で、そういうことをして結果を見たがっていた。十一年間も大学にとどまっていた。法律のにおいをかいだが、それを大成したことはなかった。「決して弁護士にならず[#「決して弁護士にならず」に傍点]」というのをモットーとし、寝床側のテーブルを戸棚とし、その中に角帽が見えていた。法律学校の前に現れることはまれだったが、そういう時はいつも、ラシャ外套《がいとう》はまだ発明されていなかったので、フロックのボタンをよくかけて衛生上の注意をしていた。学校の正門について、「何というひどい老いぼれ方だ!」と言い、校長のデルヴァンクール氏について、「何という記念碑だ!」といっていた。講義のうちに歌の材料を見つけたり、教授らのうちに漫画の種を見いだしたりしていた。かなり多額な学資、年に三千フランほども、くだらないことに費やしてしまった。彼には田舎者《いなかもの》の両親があったが、その親たちに自分を深く尊敬させるような術を心得ていた。
 彼は両親のことをこう言っていた。「彼らは田舎者で、市民ではない。だからいくらか頭があるんだ。」
 気まぐれなバオレルは、多くのカフェーに出入りした。他の者はどこかなじみの家を持っていたが、彼はそんなものを持たなかった。彼はやたらに彷徨《ほうこう》した。錯誤は人間的で、彷徨はパリーっ児的である。彼の奥底には洞察力があり、
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