首をはねたことを、革命に向かって難じていた。平素は繊細であるが突如として雄々しくなる声を持っていた。博学と言えるほど学問があり、ほとんど東方語学者であった。またことに善良であった。善良さがいかに偉大に近いものであるかを知っている人にはごくわかりきったことであるが、詩の方面において彼は広大なるものを愛していた。彼はイタリー語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を知っていた。しかもそれはダンテとユヴェナリスとアイスキロスとイザヤの四詩人を読むことに使われたのみだった。フランス人ではラシーヌよりもコルネイユを、コルネイユよりもアグリッパ・ドービネを好んでいた。燕麦《からすむぎ》や矢車草のはえている野を喜んで散歩し、世の中の事件とほとんど同じくらいに雲のことを気にしていた。彼の精神は人間の方面と神の方面と、二つの態度を有していた。あるいは研究し、あるいは静観していた。終日彼は社会問題を探究していた。すなわち、給料、資本、信用、婚姻、宗教、思想の自由、恋愛の自由、教育、刑罰、貧窮、組合、財産、生産、分配、すべて人類の群れを暗き影でおおう下界の謎《なぞ》を探究していた。そして夜になると、あの巨大なる存在者たる星辰《せいしん》をながめた。アンジョーラのごとく、彼は金持ちでひとり息子であった。彼はもの柔らかに話をし、頭を下げ、目を伏せ、きまり悪るげにほほえみ、ぞんざいな服装をし、物なれない様子をし、わずかなことに赤面し、非常に内気だった。それでもまた勇敢であった。
フイイーは、扇作りの職工で、父も母もない孤児で、一日辛うじて三フランをもうけていた。そして彼は世界を救済するという一つの考えしか持たなかった。それからなおも一つの仕事を持っていた、すなわち学問をすることで、それを彼はまた自己を救済することと呼んでいた。彼は独学で読むこと書くことを学んだ。彼のあらゆる知識はただひとりで学んだのだった。彼は寛大な心を持っていた。広大な抱擁力を持っていた。この孤児は民衆を自分の養児としていた。母がいなかったので、祖国の事を考えていた。祖国を持たぬ人間の地上にいることを欲しなかった。民衆の人たる深い洞察力《どうさつりょく》をもって、われわれが今日|民族観念[#「民族観念」に傍点]と呼ぶところのものを心の中にはぐくんでいた。悲憤|慷慨《こうがい》もよくその原因を知悉《ちしつ》した上のことでありたい
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