ハドリアヌス皇帝の寵臣たりし非常に美しきビシニヤ人のどれい[#ここで割り注終わり])であった。彼の目の瞑想的《めいそうてき》なひらめきを見れば、過去のある生活において、既に革命の黙示録を渉猟したもののように思われるのだった。彼は親しく目撃でもしたかのように革命の伝説を知っていた。偉大なる事物の些細《ささい》な点まですべて知っていた。青年には珍しい司教的なまた戦士的な性質だった。祭司であり、戦士であった。直接の見地から見れば、民主主義の兵士であり、同時代の機運を離れて見れば、理想に仕える牧師であった。深い瞳《ひとみ》と、少し赤い眼瞼《まぶた》と、すぐに人を軽蔑しそうな厚い下脣《したくちびる》と、高い額とを持っていた。顔に広い額があることは地平線に広い空があるようなものである。時々青ざめることもあったが、十九世紀の始めや十八世紀の終わりに早くから名を知られたある種の青年らのように、若い娘のようないきいきした有り余った若さを持っていた。既に大きくなっていながら、まだ子供のように見えた。年は二十二歳であるが、十七歳の青年のようだった。きわめてまじめで、この世に女性というものがいることを知らないかのようだった。彼の唯一の熱情は、権利であり、彼の唯一の思想は、障害をくつがえすことであった。アヴェンチノ山に登ればグラックスとなり、民約議会《コンヴァンシオン》におればサン・ジュストともなったであろう。彼はほとんど薔薇《ばら》を見たことがなく、春を知らず、小鳥の歌うのを聞いたことがなかった。エヴァドネの露《あら》わな喉《のど》にも、アリストゲイトンと同じく彼は心を動かされなかったであろう。彼にとってはハルモディオスにとってと同じく、花は剣を隠すに都合がよいのみだった。彼は喜びの中にあっても厳格だった。共和以外のすべてのものの前には、貞操を守って目を伏せた。彼は自由の冷ややかな愛人であった。彼の言葉は痛烈な霊感の調を帯び、賛美歌の震えを持っていた。彼は思いもよらない時に翼をひろげた。彼のそばにあえて寄り添わんとする恋人こそ不幸なるかなである。もしカンブレー広場やサン・ジャン・ド・ボーヴェー街の浮わ気女工らにして、中学から抜け出たばかりのような彼の顔、童《わらべ》のような首筋、長い金色の睫毛《まつげ》、青い目、風にそよぐ髪、薔薇色の頬《ほお》、溌剌《はつらつ》とした脣《くちびる》、美しい
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