ーズと言って、当時十八歳だったのである。
 ウェリントンは運の傾いてきたのを感じた。危機は迫っていた。
 胸甲騎兵らは敵の中央を突破し得なかったという意味では成功しなかった。その高地は皆の有であり、まただれの有でもなかった。そして要するに、大部分はなおイギリス軍の手中にあった。ウェリントンは村と一番高い平地とを有していた。ネーは高地の縁と斜面とをしか有していなかった。両方ともここを墳墓の地と根をおろしてるかのようだった。
 しかしイギリス軍の衰弱はもはや回復すべからざるもののように見えた。その軍隊の出血は恐るべきものだった。左翼のケンプトは援兵を求めた。「一兵もない[#「一兵もない」に傍点]、そこで戦死せよ[#「そこで戦死せよ」に傍点]!」とウェリントンは答えた。それとほとんど同時に両軍の疲憊《ひはい》を語る珍しい一致であるが、ネーもナポレオンに歩兵を求めてきた。ナポレオンは叫んだ、「歩兵[#「歩兵」に傍点]! どこから手に入れてくれというのか[#「どこから手に入れてくれというのか」に傍点]、わしに歩兵をこしらえよとでもいうのか[#「わしに歩兵をこしらえよとでもいうのか」に傍点]?」
 けれども、イギリス軍の方がいっそう悩んでいた。鉄の鎧《よろい》と鋼鉄の胸当てとをつけたその偉大な騎兵隊の狂猛な圧力は、歩兵を押しつぶした。軍旗のまわりに立っている数人の兵が、一個連隊の位置を示してるものもあった。そういう一隊はもはや大尉あるいは中尉によって指揮されてるのみだった。ラ・エー・サントにおいて既に痛手を被ってるアルテンの師団は、ほとんど全滅していた。ヴァン・クルーツェ旅団の勇敢なベルギー兵は、ニヴェルの道に沿った麦畑のうちに莫大《ばくだい》な死屍《しかばね》を横たえていた。一八一一年にはスペインにおいてフランス軍に交じってウェリントンと戦い、今一八一五年にはイギリス軍と結んでナポレオンと戦っていたオランダの擲弾兵《てきだんへい》らは、ほとんど生き残ったものがなかった。将校の損失はなおいちじるしかった。翌日自分の片脚を葬ったアクスブリッヂ卿は、もう膝を砕かれていた。その胸甲騎兵の戦闘においてフランス軍の方では、ドロール、レリティエ、コルベール、ドノプ、トラヴェール、およびブランカールらが戦闘力を失っていたのに対し、イギリス軍の方では、アルテンは負傷し、バーンは負傷し、デランシーは戦死し、ヴァン・メルレンは戦死し、オンプテーダは戦死し、ウェリントンの幕僚は大半戦死していた。かくしてその流血を比較する時には、イギリスの方がはなはだしかった。近衛歩兵の第二連隊は五人の中佐と四人の大尉と三人の旗手とを失っていた。歩兵第三十連隊の第一大隊は二十六人の将校と百十二人の兵卒とを失っていた。ハイランド兵第七十九連隊では、二十四人の将校が負傷し、十八人の将校が戦死し、四百五十人の兵士が戦死していた。クンベルランドのハンノーヴル驃騎兵《ひょうきへい》は、後に裁《さば》かれて罷免《ひめん》されることになった連隊長ハッケを頭として、全連隊が混戦の前に手綱をめぐらして、ソアーニュの森の中に逃げ込み、ブラッセルに至るまで壊走《かいそう》の余波を及ぼした。輜重車《しちょうしゃ》、弾薬車、行李車《こうりしゃ》、負傷兵をいっぱい積んだ車などは、フランス軍がそこに足場を得て森に近よって来るのを見て、先を争って森に逃げ込んだ。フランス騎兵になぎ払われたオランダ兵は、「あぶないぞ!」と叫んでいた。ヴェール・クークーからグレナンデルに至るまで、ブラッセルの方面へ約二里の距離にわたって、ただ一面に逃亡兵のみであった事は、今に生きてる実見者らの語るところである。その恐慌は非常なものであって、マリーヌにいたコンデ大侯とガンにいたルイ十八世とにまでもおよんだ。モン・サン・ジャンの農家のうちに建てられた野戦病院の背後に梯隊《ていたい》をなしていたわずかな予備隊と、左翼を防いでいたヴィヴァイアンとヴァンドルールとの二個旅団を除くのほか、ウェリントンはもはや騎兵を有しなかった。多くの砲門は破壊されて横たわっていた。それらの事実はシーボンによって告白されたところである。プリングルはその災滅を誇張して、イギリス・オランダの軍隊は三万四千になされたとまで言っている。鉄石大公ウェリントンはそれでもなお自若としていた、しかしその脣《くちびる》は青ざめていた。イギリスの参謀部に従って観戦していたオーストリアの軍事監ヴィンチェントとスペインの軍事監アラヴァとは、大公の敗北と思っていた。五時に、ウェリントンは時計を出してみた、そして次の憂鬱《ゆううつ》な言葉がつぶやかれるのが聞かれた、「ブリューヘルが来るか[#「ブリューヘルが来るか」に傍点]、夜が来るか[#「夜が来るか」に傍点]!」
 ちょうどその頃であった、銃剣の遠い一線が、フリシュモンの方に当たって高地の上にひらめき出した。
 ここにおいて、この巨大なる活劇に変転が起こった。

     十一 ナポレオンに不運にしてブューローに幸運なる案内者

 ナポレオンの痛ましい誤算は世の知るところである。いたずらに待ちあぐまれたグルーシーと、不意に現われきたったブリューヘル。生命《いのち》にあらで死がやってきたのである。
 運命はかくのごとく流転する。世界の帝王の王座が待たれていたのに、セント・ヘレナが見えてきた。
 ブリューヘルの副官ブューローの案内人となっていた牧者の少年が、森林から進出するのにプランスノアの下手《しもて》からよりもフリシュモンの上手《かみて》からすることを、もし彼に勧めていたならば、十九世紀の形勢はおそらく現今と異なっていたであろう。ナポレオンはワーテルローの戦いに勝ったであろう。プランスノアの下手《しもて》以外の道によって進んだならば、プロシア軍は到底砲兵を通すことのできない谷間に出て、ブューローは到着し得なかったであろう。
 もし一時間も遅延していたなら、プロシアのムッフリング将軍も言ったごとく、ブリューヘルはもはやウェリントンがそこに支持してるのを見いださなかったであろう。「戦いは敗れていた」であろう。
 もはやブューローが到着しなければならない時間であったことは、人の皆察するところである。その上彼はもうよほど遅延していたのである。彼はディオン・ル・モンに露営していたのであって、払暁《ふつぎょう》より出発していた。しかし道路は通行に困難をきわめ、各師団は泥濘《でいねい》の中に足を取られた。砲車は轍《わだち》の中に轂《こしき》の所までも没した。その上、ワーヴルの狭い橋でディール河を越さなければならなかった。そしてまたその橋に通ずる街路《まち》にはフランス軍が火を放っていた。砲兵の弾薬車と行李《こうり》車とは、焼けつつある軒並みの間を通ることができなくて、鎮火するまで待たなければならなかった。ブューローの前衛がまだシャペル・サン・ランベールに着かない前に、既に正午になっていた。
 ワーテルローの戦いは、二時間早く初められていたならば、午後四時には終わっていたはずで、ブリューヘルは既にナポレオンによって勝利をあげられた戦場に到来することになったであろう。われわれ人間の眼界を逸するあの無窮なるものにのみ順応してる広大なる偶然事は、すべてかくのごときものである。
 正午ごろ早くも皇帝は、望遠鏡をもってまっさきに、はるか地平線の一点にある物を認めて、それに注意を集めた。彼は言った、「彼方に雲らしいものが見えるが、どうも軍隊らしい。」それから彼はダルマシー公に尋ねた、「スールト、あのシャペル・サン・ランベールの方に見えるものを君は何と思う?」元帥は双眼鏡をその方へ向けて答えた、「四、五千の軍勢です、陛下。グルーシーに違いありません。」それはなお遠く靄《もや》の中にあって動かなかった。すべての幕僚の双眼鏡は皇帝のさし示すその「雲」を見きわめようとした。ある者は言った、「佇立《ちょりつ》してる縦隊である。」また多くの者は言った、「樹木である。」ただその雲はじっと動かないでいることだけは事実であった。皇帝はドモンの軽騎兵の一隊をさいて、その不明な一点の方へ偵察につかわした。
 ブューローは実際動いていなかった。彼の前衛はきわめて薄弱であって、何事もなし得なかったのである。彼は本隊を待っていなければならなかった。そしてまた、戦線にはいる前に兵力を集中せよとの命令を受けていた。しかし五時に、ウェリントンの危険を見て取って、ブリューヘルはブューローに攻撃の命令を下し、次の著名な言葉を発した、「イギリス軍に息をつかせなければいけない。」
 それから間もなく、ロスティン、ヒレル、ハッケ、リッセルらの各師団は、ロボーの軍団の前面に展開し、プロシアのウィルヘルム大侯の騎兵はパリスの森から現われ、プランスノアは火炎に包まれた。そしてプロシアの砲弾は、ナポレオンの背後に予備として控えていた近衛兵の列中まで雨とそそぎ初めた。

     十二 近衛兵

 その後のことは人の知るとおりである。第三の軍勢の突入、戦闘の壊裂、にわかにとどろく八十六門の砲、ブューローとともに到着したピルヒ一世、ブリューヘル自ら率いたツィーテンの騎兵、押し返されたフランス軍、オーアンの高地から掃蕩《そうとう》されたマルコンネ、パプロットから駆逐されたデュリュット、退却するドンズローとキオー、半側面より攻撃されたロボー、援護を失ったフランス各連隊の上に薄暮に落ちかかってきた新戦闘、攻勢を取って進んできたイギリス軍の全線、フランス軍のうちに開けられた大きな穴、互いに相助くるイギリスとプロシアとの霰弾《さんだん》、殲滅戦《せんめつせん》、正面の惨劇、側面の惨劇、その恐るべき崩壊の下に戦線に立つ近衛兵。
 近衛兵らはまさに戦死の期の迫ってるのを感ずるや、「皇帝万歳!」を叫んだ。ついにその喊声《かんせい》にまで破裂した彼らの苦悶《くもん》ほど人を感動せしむるものは、およそ歴史を通じて存しない。
 その日空は終日曇っていた。しかし突然その瞬間に、晩の八時であったが、地平線の雲が切れて、ニヴェルの道の楡《にれ》の木立ちを通して、没しゆく太陽の赤いものすごい広い光を地上に送った。その太陽もアウステルリッツにおいてはのぼるのが見られたのであったが。
 近衛の各隊は、その終局のために各将軍によって指揮されていた。フリアン、ミシェル、ロゲー、アルレー、マレー、ポレー・ド・モルヴァン、皆そこにいた。鷲《わし》の大きな記章をつけた近衛|擲弾兵《てきだんへい》の高い帽子が、一様に列を正し粛々としておごそかに、その混戦の靄《もや》のうちに現われた時、敵軍すらもフランスに対する畏敬の念を覚えた。あたかも二十有余の戦勝は翼をひろげて戦場に入りきたったかの観があって、勝利者たる敵軍も敗者たる心地がして後ろに退《さが》った。しかしウェリントンは叫んだ、「起て[#「起て」に傍点]、近衛兵[#「近衛兵」に傍点]、正確にねらえ[#「正確にねらえ」に傍点]!」籬《まがき》の後ろに伏していたイギリス近衛兵の赤い連隊は立ち上がった。しのつくばかりの霰弾は、フランスの鷲の勇士のまわりに風にひるがえってる三色旗に雨注した。全軍は殺到し、無比の殺戮《さつりく》が初まった。皇帝の近衛兵らは、周囲に退却してゆく軍隊を、そして敗北の広漠たる動揺を、影のうちに感じた。皇帝万歳! の声が、逃げろ! の叫びに代わったのを、彼らは聞いた。そしてその逃亡を後ろにしながら、一歩ごとにますます雷撃を受け、ますます戦死しながら、前進を続けた。一人の逡巡《しゅんじゅん》する者もなく、一人の怯懦《きょうだ》な者もいなかった。その軍勢のうちにおいては、一兵卒といえども将軍と同じく英雄であった。自ら滅亡の淵《ふち》に身を投ずることを避けた者は一人もなかった。
 熱狂したネーは、死に甘んずるの偉大さをもって、その颶風《ぐふう》のうちにあらゆる打撃に身をさらした。そこで彼の五度目の乗馬は倒れた。汗にまみれ、目は炎を発し、口角には泡《あわ》を立て、軍服のボタンは取れ、一方
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