神へ、ここにおいてブラッセルの商人ベルナール・ド・ブリー氏は一六三七年二月○〔不明〕日不幸にも馬車にひき殺されぬ。)またその道はモン・サン・ジャンの高地の上ではきわめて深かったので、マティユー・ニケーズという百姓が一七八三年に土手くずれのため圧死したほどである。も一つの石の十字架にやはりそのことがしるしてあった。しかしその石はそこが開拓される時になくなってしまい、くつがえされた土台石だけが今日なお、ラ・エー・サントとモン・サン・ジャンの農家との間の道路の左手の芝生《しばふ》の坂の上に残って見えている。
 戦いの日、モン・サン・ジャンの高地の縁にあって、断崖《だんがい》の上にある溝であり、地面の中に隠された轍《わだち》であり、何物もそれと気取《けど》らせる物のないその凹路《おうろ》は、少しも目につかなかったのである、言い換えれば恐るべきものだったのである。

     八 皇帝案内者ラコストに問う

 さてワーテルローの朝、ナポレオンは満足であった。
 それも道理だった。彼によって立てられた作戦計画は、前に述べたとおり、実際驚嘆すべきものであった。
 一度戦端が開かるるや、種々の変転はナ
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