も確信してはいないからである。
彼の見地よりすれば、彼自身も彼自身に対しては「自分の精神の一概念」にすぎない、ということになり得る。
ただ彼は一事を気づかないでいる、精神という言葉を発することによって、否定したすべてのものを一括して自ら肯定しているということを。
要するに、否という一語にすべてを到達せしむる哲学によっては、何らの思索の道も開かれない。
「否」という一語に対しては、ただ「しかり」という一つの答えがあるのみである。
虚無主義は領域を有しない。
虚無なるものは存しない。零《ゼロ》は存しない。すべては何かである。無は何物でもない。
人はパンによってよりもなお多く肯定によって生きている。
見ることと示すこと、それだけでも十分ではない。哲学は一つのエネルギーでなければならない。人間を進化せしむることをその目的とし結果として有しなければならない。ソクラテスはアダムのうちにはいってマルクス・アウレリウスを製造しなければならない。換言すれば、至福の人間から知恵の人間を生まれさせなければならない。エデンの園をリセオムの園に変えなければならない。学問は一つの興奮剤でなければなら
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