まじめでさえあるならばすべてよろしい。汝の書物を伏せよ、そして無窮なるもののうちにあれ。
 吾人の知るところによれば、無窮なるものを否定する一つの哲学がある。また病理学上一つの哲学となし得るもので太陽を否定するのがある。その哲学を盲目と称する。
 われわれに欠けたる一知覚を真理の基となすことは、盲者の虚勢である。
 おもしろいことには、神を見る哲学に対して、その手探りの哲学は、優者らしいあわれむような尊大な態度を取る。あたかも土竜《もぐらもち》が叫ぶがような声を出す、「奴《やつ》らの太陽ときたら気の毒なものだ!」
 吾人の知るところによれば、有名な強力な無神論者らが世にはいる。彼らは自分自らの力によって真の方へつれ戻されて、根本では確かな無神論者ではない。彼らにとってはただ定義の問題だけである。そして彼らは偉大なる精神の者らであるから神を信じはしないにしても、多くの場合にかえって神を証明している。
 吾人は彼らの哲学を厳正に弁別しながらも、彼らの精神のうちに哲学者があることを慶するものである。
 なお言を進めよう。
 同じくみごとなる一事は、言葉をもって満足するの容易さである。多少濃霧
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