骨までしゃぶりつくした。そして現代においてこの二国民がようやくその病根から平癒《へいゆ》し初めたのは一七八九年([#ここから割り注]訳者注 フランス大革命[#ここで割り注終わり])の勇健なる衛生法のお陰によってである。
 なお十九世紀の初めにイタリーやオーストリアやスペインなどに残っていた修道院は、ことに古い女修道院は、中世の最も薄暗い投影の一つである。その内部は、それらの修道院の内部は、あらゆる恐怖すべきものの交差点である。本来のカトリックの修道院内部は、死の暗黒なる輝きに充《み》ち満ちている。
 スペインの修道院は特に陰惨である。そこでは、暗黒のうちにつっ立って、靄《もや》のこめた穹窿《きゅうりゅう》の下に、影のためにおぼろな丸天井の下に、大会堂のように高く、バベルの塔のようにおごそかな祭壇がそびえている。大きな白い十字架像がやみのうちに鎖に下がっている。黒檀《こくたん》の台の上に大きな象牙のキリスト像が裸のまま並んでいる。血にまみれてるというよりも血を流してるような趣である。恐ろしいがしかし荘厳な趣である。両肱《りょうひじ》は骨立ち、両膝《りょうひざ》は皮膜があらわで、傷口からは
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