れもその一部分にすぎなかった。静観は祈祷《きとう》とともに人間に必要なものの一つである。しかし革命の手に触れられたすべてのものと同じく、静観もやがてその形を変じて、社会の進歩をはばむことから脱して、かえってそれを助けるものとなるだろう。
プティー・ピクプュスの家に住む者は、にわかにその数を減じてきた。一八四〇年には、小修道院はなくなり、寄宿舎もなくなっていた。年老いた女らも、若い娘らも、もはやそこにいなかった。老いたる者は死に、若き者は立ちのいていた。彼女らは飛び去りぬ[#「彼女らは飛び去りぬ」に傍点]。
常住礼拝の規則は、人に怖気《おじけ》を震わせるほど苛酷《かこく》なものである。帰依する者は少なくなり、新たにはいって来る者はなくなった。一八四五年には、なお多少の助修道女らが散在していた。しかし歌唱の修道女はもはや一人もいなかった。今から四十年前には、修道女の数は約百人ばかりだった。十五年前には、もはや二十八人に過ぎなかった。そして今日は幾人になってることであろう? 一八四七年には、院長はまだ若い人だった。これは選挙の範囲がせばまったしるしである。院長は四十歳にもなっていなかった
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