り、壁には種々な額縁がかかっていて、面紗《かおぎぬ》をかぶらないベネディクト修道女の肖像が一つ、花束の絵が数個、それからまたトルコ人の顔までがあった。
タンブル街の修道院の庭には、有名な七葉樹があった。それはフランス第一の美しい大きなものとされていた。十八世紀の人たちは、王国のすべての七葉樹の父[#「王国のすべての七葉樹の父」に傍点]であると言って評判していた。
前に言ったとおりこのタンプルの修道院には、シトーから出てきたベネディクト修道女とは全く別なものではあるが、やはり常住礼拝をしているベネディクト修道女らがいた。この常住礼拝の一派はそう古いものではなく、二百年以上にさかのぼるものではない。一六四九年に、パリーの二つの会堂サン・スュルピスとサン・ジャン・アン・グレーヴとで、数日へだてて、聖サクラメントがけがされた。あまり例のない恐ろしい冒涜《ぼうとく》で、全市をわき立たせたものだった。サン・ジェルマン・デ・プレの修道院長大助祭はその全聖職者に命じて荘厳な行列をなさしめ、そこで法王の特使が祭式を上げた。けれどもその贖罪《しょくざい》の祭式をも、二人のりっぱな婦人、ブーク侯爵夫人で
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