害の初まりであり、ナポレオンと称する欧州の一大伐木者がワーテルローで出会った最初の抵抗であって、斧《おの》の打撃の下に現われた第一の節《ふし》であった。
 それは一つの城砦《じょうさい》であったが、今はもう一つの農家にすぎなくなっている。ウーゴモン(Hougomont)は、古代学者にとってはむしろユゴモン(Hugomons)というのである。その邸宅は、ヴィレル修道院に第六の采地《さいち》を寄進したあのソムレル侯ユーゴーによって建てられたものだった。
 旅人は戸を押し開き、玄関の古い馬車の横を通りぬけ、中庭にはいった。
 その中庭で第一に彼の目についたものは、十六世紀式の門だった。すべてまわりのものはこわれ落ちてしまって、一つの迫持《せりもち》らしいものをそこに止めている。記念物的なありさまは、しばしば荒廃から生まれるものである。その迫持のそばに、アンリ四世時代の様式になった拱心石がついてるも一つの門が、壁の中に開かれていて、その向こうには果樹園の樹木が見えている。門の傍《わき》には、肥料|溜《だめ》、鶴嘴《つるはし》やシャベル、二、三の車、板石と鉄の枠《わく》滑車とのついてる古井戸、は
前へ 次へ
全571ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング