期に関連したもので、たとえば、ナティヴィテ長老(降誕)、コンセプシオン長老(受胎)、プレザンタシオン長老(奉献)、パッシオン長老(受難)などのように。けれども、聖者にちなんだ名前も禁じられてるのではない。
修道女らに会う時には、ただその口だけしか見られない。皆黄色い歯をしている。決して楊枝《ようじ》はこの修道院に入れられない。歯を磨くことは滅落の淵に臨むことである。
彼女らは何物に対しても私の[#「私の」に傍点]という言葉を使わない。自分のものというのは何もなく、また何物にも執着してはいけないのである。彼女らはすべてを私どもの[#「私どもの」に傍点]という。私どもの面紗《かおぎぬ》、私どもの念珠。自分の着ているシャツのことでも私どものシャツ[#「私どものシャツ」に傍点]と言うに違いない。時としては、祈祷《きとう》書だの遺物だの聖牌《せいはい》だの何かちょっとしたものに愛着することがある。けれどもそれに愛着し初めたことを気づいた時には、直ちにそれを捨てなければならない。彼女らは聖テレサの言葉を記憶していた。ある貴婦人が聖テレサの修道会にはいる時に、「私がごく大事にしています聖書を家に
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