しまった。千両役者が舞台に現われたような気がした。そして一言も返さないで、室から出て行った。
二人だけになると、テナルディエは客に椅子をすすめた。客は腰をおろした。テナルディエは立っていた。そして彼の顔は、人の好《よ》さそうな質朴らしい特殊な表情を浮かべた。
「旦那、」と彼は言った、「まあお聞き下さい。私はまったくあの児がかわいいんです。」
男は彼をじっと見つめた。
「どの児です?」
テナルディエは続けて言った。
「妙なもんですよ、心をひかれるなんて。おや、この金はどうしました。まあこれはお納め下さい。で私はその娘がかわいいんでしてね。」
「いったいだれのことです。」と男は尋ねた。
「なに、うちのコゼットですよ。旦那《だんな》はあれを連れてってやろうとおっしゃるんでしょう。そこで、正直なところを申し上げると、まあ旦那がりっぱな方だというのと同じくらい本当のことを申せばですな、実は私はそれに不同意なんです。あの児がいないと物足りませんでね。ごく小さい時分から育てましたんでね。それは金もかかりますし、よくないところもありますし、私どもに金はありませんし、実際のところ、あれの病気にはた
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