テナルディエは身体を動かし、咳《せき》をし、唾《つば》を吐き、鼻をかみ、椅子《いす》をがたがたいわしたが、それでも男は身動きもしなかった。「眠ってるのかしら、」とテナルディエは考えた。が男は眠ってるのではなかった。しかし何物も彼の心を呼びさますことはできなかった。
 ついにテナルディエは帽子をぬぎ、静かに近寄ってゆき、思い切って彼に言ってみた。
「旦那《だんな》、お休みになりませんか。」
 寝ませんか[#「寝ませんか」に傍点]という言葉でも彼にはじゅうぶんな親しいものに思われたかも知れなかった。休む[#「休む」に傍点]という言葉にはぜいたくの気味があって、敬意が含まれてるのだった。それらの言葉は翌朝の勘定書の数字を大きくする不思議な驚くべき性質を持っているのである。寝る[#「寝る」に傍点]室《へや》が二十スーなら、休む[#「休む」に傍点]室は二十フランするのである。
「やあ、なるほど。」と男は言った。「廐《うまや》はどこにありますか。」
「旦那、」とテナルディエは微笑を浮かべて言った、「御案内いたしましょう。」
 亭主は蝋燭《ろうそく》をとり、男は包みと杖とを取った。そして亭主は
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