こした時は、差し出てる手にはもう指輪がなくなっていた。
 男はきっぱり立ち上がったのではなかった。物におびえたようなすごい態度をして、死人の堆積の方に背を向け、ひざまずいたまま地平線をすかし見ながら、地についた両の食指に上体をもたして、頭だけを凹路の縁から出してうかがっていた。狼の四本足も、ある種の行ないには便宜なものである。
 それから、彼は心を決して立ち上がった。
 その時、彼はぎくりとした。うしろからだれかにつかまれてるようだった。
 彼はふり向いて見た。それは先刻の開いていた手であって、指を閉じながら、彼の上衣の裾《すそ》をつかんでいた。
 普通の人ならばこわがるところだった。がその男は笑い出した。
「なんだ、」と彼は言った、「死人じゃないか。憲兵よりはまだお化けの方がいいや。」
 するうちにその手は力つきて彼を放した。人の努力も墓の中ではすぐに尽きるものである。
「ははあ、」と男は言った、「この死人め、まだ生きてるのかな。一つ見てやろう。」
 彼は再び身をかがめ、死人の堆積《たいせき》をかき回し、邪魔になるものを押しのけ、その手をつかみ、その腕をとり、頭を引き上げ、身体を引き
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