の前で祭式を歌う。ある日一人の歌唱の長老が、エッケ[#「エッケ」に傍点](ここに)の語で初まってる賛歌を、エッケ[#「エッケ」に傍点]の代わりにド[#「ド」に傍点]、シ[#「シ」に傍点]、ソ[#「ソ」に傍点]という三つの音符を大声に言って、その不注意のために祭式の間じゅう報罪を受けたことがある。その過失を特に大きくしたわけは、会衆がそれを笑ったからであった。
 修道女が応接室に呼ばれる時には、それがたとい院長であろうと、前に述べたとおり、口だけしか見えないように面紗《かおぎぬ》を顔の上に引き下げる。
 院長だけが他人に言葉を交じうることを許されている。他の者はごく近親の者にしか会うことができなくて、それもまたきわめてまれにしか許されない。もしふいに俗世の者がやってきて、俗世において知り合いであったかまたは愛したかした一人の修道女に会うことを求める時には種々の交渉が必要である。それが女である場合には、時としては許可されることもある。修道女はやってきて板戸越しに話をする。板戸は母かまたは姉妹にしか開かれない。男には決して面会を許されないのは言うまでもないことである。
 上のようなのがすなわち、マルタン・ヴェルガによっていっそうおごそかにされた聖ベネディクトの規則である。
 それらの修道女は、他の会派の人たちが往々あるように、快活で健やかで顔色がいいなどということは決してない。彼女らは青白くまた重々しい。一八二五年から一八三〇年までのうちに、狂人になった者が三人ある。

     三 謹厳

 この会にはいった女は、少なくとも二年間は、多くは四年間、志願女であって、それからまた四年間は修練女の地位にとどまる。最後の誓願が、二十三、四年たたないうちになさるることはきわめてまれである。マルタン・ヴェルガのベルナール・ベネディクト修道会は、決して寡婦を加入せしめない。
 彼女らは各自の分房の中で多くのひそかな苦業を行なう。それは決して人に語ってはいけないものである。
 修練女が誓願式を行なう日には、皆で最も美しい服をつけてやり、白薔薇《しろばら》の帽をかぶらせ、髪をつや出しして束ねてやり、それから彼女は平伏する。皆は彼女の上に大きな黒い面紗《かおぎぬ》を広げて、死者の祭式を歌う。その時修道女らは二列に分かれる。一つの列は彼女のすぐそばを通って、「われらの姉妹は死せり[#「われらの姉妹は死せり」に傍点]」と悲しい調子で言い、他の列は激しい声で、「イエス[#「イエス」に傍点]・キリストに生きぬ[#「キリストに生きぬ」に傍点]」と答える。
 本書の物語が起こった頃には、一つの寄宿舎がこの修道院に付属していた。大体金持ちの貴族の若い娘らの寄宿舎であって、そのうちには、サント・オーレール嬢やベリサン嬢や、タルボーというカトリックで有名な名前を持ってるイギリス娘などがいた。それらの若い娘らは、四方を壁に護《まも》られて修道女らから育てられ、俗世と時勢とを恐れつつ大きくなっていた。その一人はある日こんなことを言った、「街路の舗石を見ますと[#「街路の舗石を見ますと」に傍点]、頭から足先まで震えます[#「頭から足先まで震えます」に傍点]。」彼女らは青い服をつけ、白い帽子をかぶり、鍍金《めっき》銀か銅かの聖霊メダルを胸につけていた。大祭典の日には、特に聖マルタの日には、修道女の服装をして、終日聖ベネディクトの祭式と勤行《ごんぎょう》とをなすことが、非常な恩恵としてまた最上の幸福として許されていた。初めのうちは、修道女らがその黒服を彼女らに貸し与えていた。けれどもそれは神を涜《けが》すように思われたので、院長の禁ずるところとなった。その貸与は修練女にしか許されなかった。注意すべきことには、それらの仮装は修道院の中でひそかな布教心によって特に許され奨励されたものであって、聖衣に対するある予備趣味を娘らに与えるためのものだったが、寄宿生らにとっては現実の幸福であり実際の楽しみであった。彼女らはごく単純にそれを喜んでいた。それは新奇なものであって[#「それは新奇なものであって」に傍点]、彼女らの心を変えさした[#「彼女らの心を変えさした」に傍点]。子供心のいかにも無邪気な理由ではないか。それにしても、手に灌水器《かんすいき》を持ち、譜面机の前に四人ずつ立って、数時間歌を歌うという幸福は、われわれ俗人の容易に理解し難いものである。
 生徒らは苦業を除いて修道院のすべての勤めを守っていた。中には、世に還《かえ》って結婚した数年後まで、だれかが扉《とびら》をたたくたびごとに急いで「永遠に[#「永遠に」に傍点]」と言う習慣を脱し得なかったような、そういう女もいた。修道女らのように、寄宿生らも近親の者に応接室でしか会えなかった。母親でさえ、彼女らを抱擁することは許されなかっ
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