ちゃや》だった。その玩具棚の一番前の棚には、白い布《きれ》のふとんの上に高さ二尺もあろうという大きな人形が一つすえられていた。人形は薔薇色《ばらいろ》の紗《しゃ》の着物を着、頭には金色の麦の穂をつけ、本物の髪毛がついていて、目には琺瑯《ほうろう》が入れてあった。通りがかりの十歳以下の子供は、その珍しい人形にびっくりして終日その前に引きつけられていたが、それを子供に買ってやるだけ金を持ったぜいたくな母親は、モンフェルメイュにはいなかったのである。エポニーヌとアゼルマとは何時間もそれに見とれていた、そしてまた実際コゼットまでがそっとそれをのぞきに行ったほどである。
 桶《おけ》を手に持って外に出たコゼットは、非常に陰うつでかつがっかりしていたけれど、それでもその素敵な人形の方へ目をあげないではおられなかった。彼女はその人形を自ら奥様[#「奥様」に傍点]と呼んでいた。あわれな彼女はその前に化石したように立ち止まった。彼女はその時までそれをまぢかに見たことがなかったのである。彼女にはその店全体が、宮殿のように思えた。そして人形はもう一つの人形ではなくて幻影であった。それは喜悦と光耀《こうよう》と富貴と幸福とであって、陰惨な冷たい辛苦のうちに深く閉ざされていたこの不幸なる少女にとっては、夢のような光彩のうちに浮かんで見えた。コゼットは子供らしい無邪気なまた悲しい知恵をしぼって、自分と人形とを距《へだ》てている深淵を測ってみた。女王かまた少なくとも王女でなければあのような「もの」を手にすることはできまいと思った。彼女はその薔薇色《ばらいろ》のきれいな着物やそのなめらかな美しい髪毛をながめた、そして考えた、「あの人形はどんなにか仕合わせだろう!」彼女はその幻のような露店から目を離すことができなかった。見れば見るほどそれに眩惑《げんわく》された。あたかも楽園を見るような気がした。その大きい人形の後ろには幾つも他の人形があって、それが妖精《ようせい》や精霊のように思われた。店の奥を行ききしている商人は、何だか天の父ででもあるかのように思われた。
 そして心を奪われてるうちに、彼女はすべてを忘れ、言いつかった用事までも忘れてしまっていた。と突然、テナルディエの上さんの荒々しい声が彼女を現実の世界に呼びさました。「おや、ばか娘、まだ行かなかったのか。待っといで、私が出ていくから。そこで何をしてたんだ。このお化けめ、おゆきったら!」
 上さんはちらと外をのぞいて、心を奪われて立ってるコゼットの姿を見つけたのだった。
 コゼットは桶《おけ》を持って、できるだけ大急ぎで逃げ出した。

     五 少女ただ一人

 テナルディエの宿屋は村のうちで教会堂に近い方の部分にあったので、コゼットはシェルに面した方の森の中の泉に水をくみに行かなければならなかった。
 彼女はもう他の店は一軒ものぞいて見なかった。そしてブーランゼーの小路から教会堂の近くまで行く間は、露店の燈火《あかり》が道を照らしていたが、やがて一番終わりの店の燈火も見えなくなってしまった。あわれな娘は暗やみのうちにあって、その中をつき進んだ。ある一種の恐怖にとらえられていたので、歩きながら桶《おけ》の柄を力限り動かしていた。それから出る音が彼女の道連れであった。
 進めば進むほどやみはますます濃くなっていった。道には一人の人もいなかった。がただ一人の女に出会った。その女は彼女の通りすぎるのを見てふり返り、立ち止まって口の中でつぶやいた。「いったいあの子はどこへ行くんだろう? まるで化け物のようだが。」そのうちに女はそれがコゼットであることに気づいた。「まあ、」と女は言った、「雲雀娘《ひばりむすめ》だったのか!」
 そのようにしてコゼットは、シェルの方に面したモンフェルメイュの村はずれの曲がりくねった人気《ひとけ》のない小路の入り乱れた中を通って行った。そして道の両側に人家やまたは壁だけでもある間は、かなり元気に進んでいった。時々彼女は、鎧戸《よろいど》のすき間から蝋燭《ろうそく》の光がもれるのを見た。それは光明であり生命であって、そこには人がいたのである。彼女はそれに安堵《あんど》することができた。けれども、先へ行くに従って彼女の歩みはほとんど機械的に遅くなっていった。最後の人家の角を通り過ぎた時、コゼットは立ち止まった。最後の露店の所からそこまで行くのも、既に困難なことだったが、今やその最後の人家から先へ行くことは、ほとんど不可能だった。彼女は桶《おけ》を地面に置き、髪の中に手を差し入れて、静かに頭をかき初めた。怖《お》じ恐れて決断に迷ってる子供によく見る態度である。もうそこはモンフェルメイュの村ではなく、野の中だった。暗い寂しいひろがりが彼女の前にあった。彼女はその暗黒を絶望の目で見やった。そ
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