そは微妙なもので、すべての反映のように弱まりゆくどころか、かえっていっそう強い輝きをもってまた自分に返ってくるものである。休憩の時間になると、コゼットが遊び駆け回るのをジャン・ヴァルジャンは遠くからながめた、そして他の子供らの笑い声のうちにも彼女の笑い声を聞き分けることができた。
 というのは、今ではもうコゼットも笑い戯れるようになっていた。
 それとともに、コゼットの顔つきもある点まで変わってきた。陰鬱《いんうつ》な影もその顔から消えうせた。笑いは太陽のようなもので、人の顔から冬を追い払うものである。
 コゼットはやはりまだきれいではなかったが、それでもきわめてかわいくなってきた。そのやさしい幼い声でもっともらしい口をきいていた。
 休憩が終わって、コゼットがまた向こうにはいってゆく時、ジャン・ヴァルジャンはその教室の窓をながめ、また夜になると、立ち上がってその寝室の窓をながめた。
 もとより神は自己の道を進む。修道院はコゼットがしたように、ジャン・ヴァルジャンのうちにまかれたミリエル司教の仕事を維持し完成していった。およそ徳の一面が傲慢《ごうまん》に接することは確かである。そこに悪魔の渡した橋がある。ジャン・ヴァルジャンはおそらく自ら知らずしてその方面に、その橋に、かなり近づいていた。その時天は彼をプティー・ピクプュスの修道院に投じたのである。自分を司教にだけ比較していた間は、彼は自分の足りないのを知って謙譲であった。しかし最近になって、彼は自分を一般の人に比べはじめて、傲慢の念がきざしかかっていた。おそらくついには、漸次と人を憎む心に戻ってしまうかもわからなかったのである。
 しかるに修道院はその坂の上に彼を引き止めた。
 修道院は彼が見た第二の幽囚の場所であった。青年時代に、彼にとっては人生の初めに当たる時代に、そしてその後またつい最近に、彼はも一つの幽囚の場所を見たのだった。恐るべき場所、戦慄《せんりつ》すべき場所であった。そしてその苛酷《かこく》さは、裁判の不正と法律の罪悪とであるようにいつも彼には思えたのである。ところが今や彼は、徒刑場の次に修道院を見た。そしてかつては徒刑場の中にあったことを思い、今はいわば修道院の傍観者であることを思って、その両者を頭のうちで不安ながらも対照さしてみた。
 時としては耡《すき》の柄を杖にたのみながら、底なき夢想の螺旋
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