いにはじゅうぶん空を見ることができ、心を楽しませるくらいにはじゅうぶんコゼットを見ることができた。
きわめて穏やかな生活が再び彼に初まった。
彼はフォーシュルヴァン老人とともに庭の奥の小屋に住んでいた。その陋屋《ろうおく》は土蔵造りであって、一八四五年にはなお残っていたが、読者の既に知るとおり、三つの室《へや》から成っていて、どの室もみな裸のままの露《あら》わな壁があるばかりだった。その一番いい室は、ジャン・ヴァルジャンがこばむにもかかわらず、マドレーヌ氏へとしてフォーシュルヴァンがむりに与えてしまった。その室の壁には、膝当《ひざあて》と負籠《おいかご》とをかける二つの釘《くぎ》のほかに、飾りとして一七九三年の王家の紙幣が、暖炉の上の方に壁にはってあった。その模写は次のとおりである。([#ここから割り注]訳者注 図中の文字も念のために訳出す[#ここで割り注終わり])
[#王家の紙幣の図、図省略]
[#ここから紙幣の文字の訳文]
国王の名において
十リーヴル兌換券
軍需品代として交付す
平和確立とともに償還す
第三部 第一〇三九〇号
ストフレー
正教王党軍(欄外に)
[#ここで訳文終わり]
このヴァンデアン党([#ここから割り注]訳者注 王党の一派にしてストフレーはその将軍[#ここで割り注終わり])の紙幣は、この前の庭番が壁に鋲《びょう》で留めたものだった。彼はもと王党のものであって、修道院で死に、その後にフォーシュルヴァンがきたのだった。
ジャン・ヴァルジャンは毎日庭で働き、大変役に立った。彼は昔枝切り人だったので、今また喜んで園丁になったのである。読者はたぶん思い起こすであろうが、彼は栽培に関するあらゆる方法と奥義とに通じていた。彼はそれを役立たした。果樹園のほとんどすべての樹木は野生のままだったが、彼はそれに接芽《つぎめ》してりっぱな果実をならした。
コゼットは毎日一時間ずつ彼のそばで過ごすことを許されていた。修道女らは陰気であり、彼は親切であったから、子供の彼女は両方を比べてみて彼をなつかしんでいた。きまった時間がくると、彼女は小屋の方へ走ってきた。そして彼女がはいって来ると、その破家《あばらや》も楽園となるのだった。ジャン・ヴァルジャンも喜びに輝き、コゼットに与える幸福によってまた自分の幸福も増してくるのを感じた。人に与える喜悦こ
前へ
次へ
全286ページ中280ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング