る、しかし決して悪意ある微笑はもらさない。吾人は憤怒を知っている、しかし悪念を知らないものである。
八 信仰、法則
なお数言を試みたい。
教会が策略に満たさるる時、吾人はそれを非難し、求道者が利欲に貪婪《どんらん》なる時、吾人はそれを侮蔑《ぶべつ》する。しかし吾人は常に考える人を皆尊敬する。
吾人はひざまずく者を祝する。
一つの信仰、それこそ人間にとって必要なるものである。何をも信ぜざる者は不幸なるかな!
人は沈思しているゆえに無為であるとは言えない。目に見ゆる労役があり、また目に見えぬ労役がある。
静観することは耕作することであり、思考することは行動することである。組み合わしたる両腕も働き、合掌したる両手も仕事をなす。目を天に向けることも一つの仕事である。
タレスは四年間静坐していた。そして彼は哲学を築いた。
吾人に言わしむれば、修道者も閑人ではなく、隠遁者も無為の人ではない。
影を思うことは、一つのまじめなる仕事である。
墳墓に対する絶えざる思念は生ける者に適したものであることを、前に述べた事がらと撞着《どうちゃく》なしに吾人は信ずるのである。この点については、牧師と哲学者とは一致する。死ななければならない[#「死ななければならない」に傍点]。トラップの修道院長は、ホラチウスに言葉を合わせる。
自己の生活に墳墓の現前を多少交じえること、それは賢者の法則である、そしてまた苦行者の法則である。この関係においては、苦行者と賢者とは一堂に会する。
物質的の生成がある。吾人はそれを欲する。また精神的の偉大さがある。吾人はそれに執着する。
考えなき躁急《そうきゅう》な精神は言う。
「神秘の傍に並んで動かないそれらの人々が何になるか。何の役に立つか。いったい何を為しているのか?」
悲しいかな、吾人を取り巻き吾人を待ち受けている暗黒を前において、広大なる寂滅の手が吾人をいかになすかを知らないで、吾人はただ答えよう。「それらの人々の魂がなす仕事ほど崇高なものはおそらくないであろう。」そしてなお吾人はつけ加えよう。「おそらくそれ以上に有益なる仕事はないであろう。」
決して祈祷《きとう》をしない人々のために、常に祈祷をする人がまさしく必要である。
吾人の見るところでは、すべて問題は、祈祷に交じえられたる思想の量にある。
祈祷するライプニ
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