た。ある日大司教が巡視にきて、ちょうど見回っていた室《へや》に、みごとな金髪を持った顔色の美しいきれいな小娘がはいって来るのを見て、自分のそばにいるみずみずしい頬《ほお》をした美しい褐色《かっしょく》の髪の寄宿生に尋ねた。
「あの子は何ですか。」
「蜘蛛《くも》でございます。」
「なあに! ではあちらのは?」
「蟋蟀《こおろぎ》でございます。」
「では向こうのは?」
「青虫でございます。」
「なるほど、そしてお前さんは?」
「私は草鞋虫《わらじむし》でございます。」
この種の家にはそれぞれ特殊なことがあるものである。十九世紀の初めにはエクーアン市もまた、ほとんど尊い影のうちに少女らが育ってゆく優しい厳重な場所の一つであった。エクーアンでは、聖体祭の行列に並ぶのに、処女派と花派とを区別していた。それからまた「天蓋派《てんがいは》」と「香炉派」というのもあって、前者は天蓋のひもを持ち、後者は聖体の香をたくのだった。花はまさしく花派の受け持ちだった。四人の「処女」が一番先に進んだ。その晴れの日の朝になると、しばしば寝室でこんなふうに尋ねる声が聞かれた。
「どなたが処女でございましょう。」
カンパン夫人は七歳の「妹」が十六歳の「姉」に言った次の言葉を引用している。その時妹の方は行列の後ろの方にいたが、姉の方は行列の先頭にいたのである。「あなたは処女でございますわね。私は処女でございませんのよ。」
五 気晴らし
食堂の扉《とびら》の上の方に、人をまっすぐに天国に導くためのものであって純白なる主の祈り[#「純白なる主の祈り」に傍点]と称せらるる次の祈祷《きとう》が、黒い大字で書かれていた。
「いみじき純白なる主の祈り、神自ら作りたまい、神自ら唱えたまい、神自ら天国に置きたまいしもの。夕に床に就《つ》かんとする時、三人の天使わが床に寝《やす》みいたり。一人は裾《すそ》に二人は枕辺《まくらべ》にありて、中央に聖母マリアありぬ。マリアわれに曰《のたま》いけるは、寝《い》ねよ、ためろうなかれと。恵み深き神はわが父、恵み深き聖母はわが母、三人の使徒はわが兄弟、三人の童貞女《おとめ》はわが姉妹。神の産衣《うぶぎ》にわが身体は包まれてあり、聖マルグリットの十字はわが胸に書かれたり。聖母は神を嘆きて野に出で、聖ヨハネに会いぬ。聖ヨハネよいずこよりきたれるか? われはアヴェ・
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