た。いかに厳格な規律が守られていたかは次のことを見てもわかる。ある日一人の若い寄宿生は、三歳の妹を連れた母親から訪れてこられた。彼女は泣いた。なぜなら、妹を抱擁したくてたまらなかったがそれもできなかったからである。せめて子供に格子《こうし》から手を出さしてそれに脣《くちびる》をつけることだけは許してもらえるように願った。がそれもほとんどしかるようにして拒絶された。

     四 快活

 それらの若い娘らは、それでもなおこの荘重な家のうちに多くのおもしろい思い出を残していった。
 ある時には、この修道生活のうちに子供心がほとばしり出ることもあった。休憩の鐘が鳴る。扉《とびら》はいっぱいに開かれる。鳥は言っている「うれしいこと、娘さんたちが来る!」喪布のように十字の道がついてるその庭には、突然青春の気が満ちあふれる。輝かしい顔、白い額、楽しい光に満ちた潔《きよ》い目、あらゆる曙《あけぼの》がその暗黒の中にひらめく。賛美歌の後、鐘の鳴った後、鈴の鳴らされた後、喪鐘の後、祭式の後、そこに突然|蜜蜂《みつばち》の羽音よりもなおやさしい娘らの声がわき上がってくる。喜びの巣は開かれて、各自に蜜をもたらしてくる。嬉戯《きぎ》し、呼びかわし、いっしょにかたまり、走り出す。きれいなまっ白な小さな歯並みの脣《くちびる》が方々でさえずる。遠くから面紗《かおぎぬ》がそれらの笑いを監視し、影がそれらの輝きをにらんでいるが、それにもかまわず皆輝き皆笑う。四方の陰鬱《いんうつ》な壁もしばしは光り輝く。壁はそれら多くの喜悦を反映してほのかに白み、それらのやさしい蜜蜂の群れをながめている。それはあたかも喪中に降り注ぐ薔薇《ばら》の花である。娘らは修道女の眼前で嬉戯する。森厳なる目つきも無邪気をわずらわすことはできない。それらの娘によっていかめしい時間の間にも無邪気な一瞬が現われる。小さい者は飛び、大きい者は踊る。この修道院のうちにあっては、嬉戯《きぎ》に天国が交じっている。それらの咲き誇ったみずみずしい魂ほど喜ばしくまた尊いものはない。ホメロスもペローとともにここに微笑《ほほえ》むであろう。この暗黒の庭のうちには、あらゆる老婆の顔のしわをも伸ばすまでに青春と健康と騒ぎと叫びと忘我と快活と幸福とがあって、叙事詩中の老婆も物語中の老婆も、宮廷のそれも茅屋《ぼうおく》のそれも、ヘクーバから鵞鳥婆《がちょ
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