陽の光が中庭を輝やかし、酒の気が門番の顔を輝やかしてる時には、このピクプュス小路六十二番地の前を通る者は、快い感銘を受けざるを得なかった。しかもそこは読者が既に瞥見《べっけん》したとおり実は陰鬱《いんうつ》な場所であった。
 入り口はほほえんでいた。しかし中は祈っており泣いていた。
 うまく策略をめぐらして――それは容易なことではないが――門番の所を通りすぎて――それには例の胡麻よ開け[#「胡麻よ開け」に傍点]! の合い言葉([#ここから割り注]訳者注 アラビアのアリー・ババの物語参照[#ここで割り注終わり])を知らなければならないのでほとんど不可能のことではあるが――それから、一度に二人とは通れないくらいの壁の間の狭い階段に通じてる右手の小さな玄関にはいり、その階段の暗褐色《あんかっしょく》の下壁と淡黄色の壁色とを気味悪がらず上ってゆき、階段の広段を二度過ぎると、二階の廊下に出るのであった。そこは黄色い塗り壁と暗褐色《あんかっしょく》の腰板とで深い静けさを作っていた。階段と廊下とは二つのりっぱな窓から明りがとってあった。廊下は折れ曲がって、先の方は薄暗くなっていた。その角《かど》を曲がって数歩行くと、一つの扉《とびら》があった。扉はしめ切ってないだけにいっそう不思議な感を与えていた。扉を押し開いてはいると、約六尺ばかりの四角な小さな室《へや》に出られた。室には下に石が敷いてあり、よく洗われていて、清潔で、冷ややかで、青い花のついた一巻十五スーの南京紙が壁に張ってあった。鈍いほの白い光が左手の大きな窓からはいっていた。窓は室と同じ幅で、小さなガラスがいくつもはまっていた。室の中には見回してもだれもいなかった。耳を澄ましても足音もしなければ人声もしなかった。壁には何も掛かってはいず、家具も備えてなく、椅子一つさえ置いてなかった。
 なおよく見回すと、扉と向き合った壁に一尺ばかりの四角な穴があった。真っ黒な節くれ立って丈夫な鉄の棒が縦横にはまっていて、小さなガラス枠《わく》、というよりもむしろ対角線の長さ一寸五分ばかりの網目をこしらえていた。壁に張ってある南京紙《なんきんし》の小さな花模様が、その鉄格子《てつごうし》に静かに整然と接していたが、それでも花模様のなごやかな様子は少しも乱されてはいなかった。鉄格子の目からはどんな小さな生物もあえて出はいりできそうにも思えなか
前へ 次へ
全286ページ中187ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング