婆さんが行ってしまった時、彼は引き出しの中に入れていた百フランの貨幣を包み、それをポケットに入れた。そうするのにも金の音が他に聞こえないようにとよほど注意はしたが、五フランの銀貨が一つ手からすべり落ちて、床の上に大きな音を立ててころがった。
夕靄《ゆうもや》のおりる頃、彼はおりていって、大通りを注意深くあちこち見回した。だれも見えなかった。街路には全く人影が絶えてるように思われた。もっとも並み木の後ろに隠れようとすれば隠れることはできたのである。
彼はまた上っていった。
「おいで。」と彼はコゼットに言った。
彼はコゼットの手を取り、そして二人は出て行った。
[#改ページ]
第五編 暗がりの追跡に無言の一組
一 計略の稲妻形
読者がこれから読まんとするページのために、またずっと後になって読者が出会うページのために、ここにある注意をしておく必要がある。
本書の著者が、心ならずも自分のことをここに言えば、パリーを離れていることすでに数年におよんでいる([#ここから割り注]訳者注 ユーゴーが国外に亡命してることを言う[#ここで割り注終わり])。そして著者が去っていらいパリーはしだいに趣を変えてきた。著者には多少不明な新しい町になってきた。けれども著者がパリーを愛することは、ここにわざわざ言うまでもないことである。パリーは著者の精神の故郷である。ただ種々の破壊再築を経たので、著者の青年時代のパリー、著者が自分の記憶のうちに大切に持って行ったあのパリーは、今では昔のパリーとなっている。けれどもどうか、そのパリーが今なお存在するかのように語ることを許していただきたい。著者が読者を導いて、「かくかくの街路にはかくかくの家がある」という所にも、今日ではもはやそういう街路も家もないことがあるかも知れない。もし読者が労をいとわないならば、それを調べてみらるるもよいだろう。著者の方では、新しいパリーを知らないので、眼前に昔のパリーを浮かべつつなつかしい幻のままに筆をすすめてゆくことにする。故国にあった時に目撃したもののいくらかを後に残すことを思い、すべてが消えうせはしなかったと思うことは、著者にとってうれしいことである。故国のうちに起臥《きが》してる間は、その街路も自分に無関係なものであり、その窓も屋根も戸口もつまらぬものであり、その壁も没交渉なものであ
前へ
次へ
全286ページ中154ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング