ことはことわるわけにいきませんからな。」
「すぐに金を払って頂きましょう。」と上さんはいつもの簡単確実なやり方で言った。
「ではその靴下を買いますよ。」と男は答えた。そしてポケットから五フランの貨幣を取り出してテーブルの上に置きながら、つけ加えて言った。「代を払いますよ。」
 それから彼はコゼットの方へ向いた。
「もうお前さんの仕事は私のものだ。勝手にお遊びよ。」
 馬方は五フランの貨幣に驚いて、杯をすててやって行った。
「いやほんとだ!」と彼はその貨幣をしらべながら叫んだ。「本物の大きいやつだ、贋造《にせ》じゃないや。」
 テナルディエはそこに近づいていって、黙ってその金をポケットに納めた。
 上さんは一言もなかった。彼女は脣《くちびる》をかんで、顔には憎悪《ぞうお》の表情を浮べた。
 でもコゼットは震えていた。そして思いきって尋ねてみた。
「お上さん、本当ですか。遊んでもいいんですか。」
「お遊び!」と上さんは恐ろしい声で言った。
「ありがとうございます、お上さん。」とコゼットは言った。
 そして口ではテナルディエの上さんに礼を言いながら、彼女の小さな心は旅客に礼を言っていた。
 テナルディエはまた酒をのみ初めた。女房は彼の耳にささやいた。
「あの黄色い着物の男はいったい何者でしょう。」
「わしは大金持ちがあんなフロックを着てるのを見たことがある。」とテナルディエはおごそかに答えた。
 コゼットは編み物をそこにほうり出した。けれどもその場所からは出てこなかった。コゼットはいつもできるだけ身を動かさないようにしていた。彼女は自分の後ろの箱から、古いぼろと小さな鉛の剣とを取り出した。
 エポニーヌとアゼルマとは、あたりに起こったことに少しの注意も払っていなかった。二人はちょうどきわめて大事なことを初めたところだった。猫《ねこ》をとらえたのである。人形は下にほうり出してしまっていた。そして年上の方のエポニーヌは、猫が泣きもがくのもかまわずに、赤や青の布《きれ》やぼろでそれに着物をきせようとしていた。その大変なむずかしい仕事をやりながら、妹に子供特有のやさしいみごとな言葉で話しかけていた。そういう言葉の優しさは胡蝶《こちょう》の真の輝きにも似たもので、つかもうとすれば遠くに逃げ去るものである。
「ねえ、この人形の方があれよりよっぽどおもしろいわよ。動いたり、泣いたりして
前へ 次へ
全286ページ中112ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ユゴー ヴィクトル の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング