た。私の方では大砲の音をまねて、ぼーん[#「ぼーん」に傍点]、ぼーん[#「ぼーん」に傍点]と言っていました。」
中庭の左手にある門は、前にいったとおり、果樹園に通じている。
果樹園も恐ろしい様を呈している。
それは三つの部分にわかたれている、あるいは三場にとも言い得るであろう。第一は庭であり、第二は果樹園であり、第三は森である。その三つの部分は共通の囲いを持っている。すなわち入り口の方は城や農家の建物で、左手は籬《まがき》、右手は壁、そして奥も壁である。右手の壁は煉瓦《れんが》造りで、奥の壁は石造りである。まず第一に庭にはいってゆく。庭は斜面になっていて、すぐり類の灌木《かんぼく》が植えられ、野生の植物がいっぱいはえており、切り石のおおげさな突堤で限られていて、その突堤には二重の脹《ふく》れのある柱の欄干がついている。それはルノートル式以前の最初のフランス式に成った広壮な庭であったが、今日ではすっかり荒廃と荊棘《いばら》とに帰してしまっている。欄干の柱の上には、砲弾のような丸い石がついている。今日なおその台石の上に立っている四十三の欄干が数えらるる。他の欄干は皆草の中にころがっている。ほとんどすべてが銃弾のかすり傷を受けている。一本のこわれた欄干は折られた足のようにして欄基の上に置かれている。
果樹園より低くなってるその庭のうちに、軽歩兵第一連隊の六人の精兵が突入したのであった。彼らはそこから出ることができず、穴の中の熊《くま》のように襲われ追窮されて、ハンノーヴルの二個中隊との対戦を甘受した。その二個中隊のうちの一個中隊はカラビーヌ銃を持っていた。ハンノーヴル軍はその欄干のまわりに並んで、上から射撃した。六人の精兵らは勇敢にも二百人の敵に向かって、ただすぐりの茂みを掩蔽《えんぺい》として下から応戦し、十五分間ばかりささえたが皆戦死を遂げた。
数段上がってゆくと、庭から本当の果樹園のうちにはいる。その四角な数ヤードの地面のうちでは、一時間足らずのうちに千五百人の兵士がたおれた。その壁は今なお再び戦争を待ってるかのように見える。種々な高さの所にイギリス兵があけた三十八の銃眼がなお残っている。十六番目の銃眼の前には、イギリスの二つの花崗岩《かこうがん》の墓が据わっている。銃眼は南の壁にしかない。攻撃の主力はそちらからきたのである。その壁は外部は大きな生籬《いけ
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