に心を奪われた。敗北は敗者を大ならしめていたのである。転覆したボナパルトは、つっ立ってるナポレオンよりもいっそう高いように思われた。勝利を得た者らも恐れをいだいた。イギリスはハドソン・ロウをして彼の番をさせ、フランスはモンシュニュをして彼の様子をうかがわした。胸に組んだ彼の両腕は、諸王位の不安となった。アレキサンドル皇帝は彼を「予が不眠」と名づけた。かかる恐怖は、彼がおのれのうちに有していた広大なる革命よりきたったのである。それこそボナパルト式自由主義を説明するものであり、それを許さしむるところのものである。その幻影は旧世界に戦慄《せんりつ》を与えた。諸国王は、はるか水平線のかなたにセント・ヘレナの巌《いわお》を有して、不安げに国政を統《す》べた。
ナポレオンがロングウッドの住居において臨終の苦悶を閲《けみ》しつつある間に、ワーテルローの平野に倒れた六万の人々は静かに腐乱してゆき、彼らの平和のあるものは世界にひろがっていった。それをウイン会議は一八一五年の条約となし、それをヨーロッパは復古と名づけた。
ワーテルローがいかなるものであったかは、おおよそ右のとおりである。
しかしそれも無窮なるものに対しては何のかかわりがあろう? そのすべての暴風雨、そのすべての雲霧、その戦い、次にその平和、そのすべての影、それも広大なる日の輝きを一瞬たりとも乱すことはできなかった。その目の前においては、草の葉より葉へとはう油虫も、ノートル・ダーム寺院の塔の鐘楼より鐘楼へと飛ぶ鷲《わし》も、なんら選ぶところはないのである。
十九 戦場の夜
さて再びあの不運なる戦場に立ち戻ってみよう。実はそれがこの物語に必要なのである。
一八一五年六月十八日の夜は満月であった。その月の光は、ブリューヘルの獰猛《どうもう》な追撃に便宜を与え、逃走兵のゆくえを照らし出し、その不幸な集団を熱狂せるプロシア騎兵の蹂躙《じゅうりん》にまかせ、虐殺を助長せしめた。大破滅のうちには往々にして、かかる悲愴《ひそう》な夜の助けを伴うものである。
最後の砲撃がなされた後、モン・サン・ジャンの平原には人影もなかった。
イギリス軍はフランス軍の陣営を占領した。敗者の床に眠ることは戦勝の慣例的なしるしである。彼らはロッソンムの彼方に露営を張った。プロシア軍は壊走者《かいそうしゃ》の後を追って前進を続けた
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